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あの夜、あなたに伝えたかったこと

「理想はあるよ」と、そのひとは答えた。

最近こんなことがあってね、と話を聞いているときのことだった。
思い通りにいかないこと、”困難”に見えることがある。

それでもあなたが、選べているなら大丈夫、とわたしは告げた。
あなたはかつて、「大切な3つのもの」を挙げたでしょう。
その3つを守るように選択をして、生きているのならば大丈夫だと。

「理想はあるよ」というのは、その答えだった。
「理想はあるべきだよ」と、わたしは一瞬も迷わずに答えた。

「でも、妥協しなければいけないこともある」

その言葉に、おとなのわたしは「そうだね」と頷くことしかできなかった。

そしてわたしは考える。
少し、引っ掛かっていた。
「妥協」という言葉について。

妥協という言葉の意味について調べたら、こんなふうに書いてあった。

対立していた者の一方が他方に,あるいは双方が譲ることで意見をまとめること。「適当なところで―する」

意見が対立している場合、妥協は仕方のないことだと思う。
仕方のない、という言葉はなんだかマイナスなイメージだけど、「然るべき」と言えばいいだろうか。
「一方が他方に譲ること」の、自分が譲った立場にいるのならば、「仕方のないこと」であり、「妥協した」と感じるのは、当然なことで、わたしはそれを責められない。

意見が対立した瞬間、「自分の意見が通る」というハッピーエンドを、全員が迎えられない、ということは、どうしたって生まれてしまう。
みんなが納得する美しい答え、というのは、いつも存在するものではない。

決定された未来に向かって、ベストを尽くす。
それが、残された答えだった。

「納得」なのではないだろうか、と思う。
それは、妥協ではなくて。

物事の決定に対して、ベストを尽くす。
その結果、自分が用意していた未来が選ばれなかったとしても、
一度ぐっと飲み込んで、それを納得と呼んで、その先を尽くす。
それが例え、自身の望む「ベスト」へ辿り着く道だと思えなくても、その時点からの「ベター」を目指す。
そしてそれを、「ベストを尽くす」と言えたのならば。

悔しいこともあると思う。
それでも、あなたが掲げた大切なものと、生き方に沿って
きちんと選んで、納得して、
理想に近づくように、進んでいけたのならば

わたしはそれを、「妥協」とは、呼ばずにいたい。



【photo】 amano yasuhiro
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