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ときどき、好きだと思う。

言葉が、少し遠くなってゆくような
感覚、錯覚かもしれない。

零れ落ちているというか、
最初から、受け止めるお皿なんか、どこにもなかったような気がしてくる。

それでもわたしは、狂気に生きたいから、言葉を紡いでいる。
わたしの原点は、そこにあるような気がしている。
苦しい夜が幾度訪れても、手放すことが永劫の幸せとは思えない。
わたしは、そういう生き方をしてしまう。
悪くない、と思ってしまう。

ピアノはいいな、と時々思う。

練習は好きじゃないし、毎日の即興以外はほとんどピアノに触れない日々が続いたって
わたしは毎日、飽きもせずにピアノを弾く。

今日の音は、Aだと思った。ラの音
ラの音は、落下するような濃い夕暮れの色を彷彿させる。

わたしは誰にも、うまく話せないことをピアノに話しかける。
感情は、静かに飲み込まれて
3分ほどピアノと話した結果を、「ピアノ日記」と呼ぶことにしている。

ピアノは、言葉じゃないから
狂気は多少やわらいで、わたしは適切に投げやりになる。
それは、暴力的な気持ちを削ぐこと、のような気がしている。
言葉のまま、誰かを傷つけなくていい。
それでも、傷ついたり悩んだりしたわたしのこころは、確かに音の中をたゆたう。
そうして流れた時間の果て、あなたにはどんなふうに映っているかを、わたしは知らない。
知らないままでいい、と思っている。


言葉が好きだ、と思う。
形にしたい、と思っている。
だからわたしは、ピアノも辞めないのだと思う。
わたしが離れさえしなければ、ずっとそこに音は在る。

わたしのピアノは今日も、
こころのざわめきと、ほんのわずかな希望を乗せて、旅立っていった。


どうか、良い旅を




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