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あの頃の未来に

わたし普段、アニメしか見ないんですが
アニメ確かに好きだけど、なんかこう、人間の動いているドラマって、あんまり見ずに育ったから、いまでも積極的に見たりしない。

テレビも、モニターとしての役目のみとなっている。
という状態から、もう10年近く経った。
わたしは日頃、AmazonプライムとDアニメで育っている。

そんなわたしの視聴履歴の中でたったひとつだけ、ドラマの履歴がある。
「孤独のグルメ」だ。

主人公のゴローさんが、ちょっと仕事して、ひたすら飯を食うだけのドラマ。
実際に存在しているお店にごはんを食べにいって、
「今日はA駅のB店」という風に紹介される。
これは別格だ。
なんかほっとする。疲れない。

実際にあるお店に食べにいったり、知らない町並みを歩いたり、
名前だけしか知らないあの駅は、こんな風になっているのか、とか
飯を食って元気になるゴローさんの姿に、わたしも元気をもらって
ついに6期まできてしまった。

最近、ゴローさんの様子がおかしいぞ、と思った。
テンションが上がったときに言う「いまそかり」って、
もしかしたら先週も言ってなかった?
ゴローさん最近、ずっとテンション高くない?
このBGMも、新しい曲だけど、結構攻めてるな、いいな

6期始まってから、ずっとそんな調子だった。
ということは、
そうか、

そうか、「馴染んできた」んだ。
きっと、この作品を作っているすべてのひとが、「孤独のグルメ」に馴染んできたし
少しずつ阿吽の呼吸になってくる。
そしてわたしも、少しずつ「井之頭五郎」という人物を知ってくる。
もう、恋愛の話題が出ても期待しなくなった。
一瞬、そのような思い出がでてきても、このひと番組の後半では飯食って全部忘れてる。

最初からこうじゃなかった。
最初から、いまのゴローさんじゃなかった。
いまのゴローさんは、積み重ねていまになったんだ。

ああそうだ、わたしもそんなふうになりたかった。

最初から、完成形になりたいわけじゃない。
そして最初から、うまくできるわけではない。
(もちろん、孤独のグルメは1話からおもしろいけど)

才能で何かをしているわけではない。
今までの努力値だって、わたしの中で、他人にきちんと誇れるものって、あるのだろうか…
何かをしてきた。
ずっと、何かを、たぶん。

そして過度な期待をしてきた。
どうしてうまくできないんだろう、て思ってた。
だいたいそういうものは、何度も繰り返す前の状態だったり、
うまくなるための努力を怠っていたものだった。勉強不足。
だって才能じゃないんだもん、勉強とか経験とか積み重ねとか
もっと、泥臭いもので、なんとかするしかないじゃないか。
でも、なんだか最初から完璧を求めてしまっていた。
過度な期待をし、そして過度に絶望していた。

積み重ねていこう。
そのために「君に伝えたい百の言葉」というマガジンを立てることで、このnoteをはじめた。

いやでも本当に何もない。
もうわたしに、書くことは何もないと思ってはじめたのが「おさとうを、ひとかけら」だ。

江國香織さんの「とるにたらないものもの」みたいに、延々と好きなものの話をしよう。
輪ゴムとか、食器用スポンジ、とかそういうのでもいい。
好きなものの話なら、きっとまだできる。
そして、好きなものを百個並べたら、わたしはきっと安心できる。
そこは特別なわたしの部屋で、そこに帰れば、きっとわたしは守られる。好きなものが、わたしを守ってくれる。

それでも言葉を失ったときにはピアノを
「砂時計が落ちるまで」は、言葉から逃げてピアノと仲良くなるためにはじめた。
最初はいまよりぜんぜんうまく弾けなくて。
それでもわたしは、許し続けた。
この先に何もないかもしれない、と思っていたけれど
わたしは自分でひとつ、成果を感じる作品を作れた。

そして、友達の手を借りて、もう一歩先に行けた。


何度も言う、才能でやっているわけじゃない。
わたしは完璧とは真逆だし、甘いところしかない。

それでも、積み重ねていく。
もう、「何もしない」か「積み重ねていく」しかない。
いまはそんなふうに思っている。
本当は別の答えがあることも知っているけれど、
でも、積み重ねていくことなら、きっとできる。
そのさきに、さきに

わたしは信じていない。
何かが絶対あるとか、答えが見つかるとか、満足するとか
そんなのはぜんぜん信じていないけど

ゴローさんが飯食って、
「あしたは何食おうかな」って言うみたいに

わたしはいま、
「次は何を作ろうかな」って思ってる。


【thanks a lot】
amano yasuhiro(写真)


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