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腹の奥の不幸へ

記事を書き溜めないようにしている。
読み直す、っていうのが疲れるから。

怒りや憎しみが滲むような言葉を書いてしまったときは、一晩置くようにしている。
行き過ぎた感情を載せるべきではない。と思っている。

ふたつの信念が重なって放置してしまった仮タイトル「不幸のこと。※あとで読み直して」を放置して、1ヶ月も経ってしまった。

読み返して、このことが書いてないことが不思議だったので追記しておく。

わたしがあの怪我から立ち直れたのは、
出会った瞬間に松葉杖をついていたドラマーが、
「それでも、怪我なんかしなけりゃよかったと思うよ」と言ってくれたからだった。
それは、右手の動かなくなったピアノ弾きを救ってくれた、たったひとつの共感だった。

(君はこのときのことなんか忘れてくれていい。わたしが覚えている)
2022年7月3日 松永ねる



「でも、若いときでよかったね」と言われたことも
「右手がないピアニストもいるからね」と言われたことも
いまでも覚えている。

もう10年近く経つのに、執念深すぎだろうか。
憎んでいない。
でも、覚えている。
誰か、いつ、その言葉をわたしに告げたのかを。
そしてわたしはいまも、このふたりの友人を好ましく思っている。

ただ、傷ついた言葉を執念深く覚えている。
それだけのことだった。

濃度を変えながらも、右手が動かなくなったあの日のこと
そしてあの地獄のような日々を、わたしは忘れないだろう。と思う。

「それでもよかった」とひとは言いたがる。

「そんなダメな男と別れられてよかったね」
「引っ越す前でよかったね」
「良い経験になってよかったね」
そして、「若いころでよかったね」とか。

右手が動かないときに
(ブラジャーの後ろのホックと、腕時計が外せなくて、3ヶ月ほどお箸が持てなかったあの頃の話だ)
「右手のないピアニストもいるからね」
なんて言われたら。

わたしの指は、十本ある。
と思えば、わたしは不幸ではない。
不幸中の幸い。
「でも、よかったよね」の理由なんて、たくさんある。

わたしより不幸な人はたくさんいる。
だからいつも、ハチクロのセリフを思い出す。

最初に言ったよなあ?ええ?六太郎よ。『不幸自慢禁止』って。
お前だけじゃねェ、みんな事情はある。―――が、腹におさめてがんばってんだよ。
キリがねえんだよ、そこ張り合い始めたら。全員で不幸目指してヨーイドンだ。
そんなんどこにイミがある!?

羽海野チカ「ハチミツとクローバー」


特に「全員で不幸目指してヨーイドンだ」というセリフは強烈だった。
10代の終わり、もしかしたら二十歳とか、
はぐちゃんや竹本くんと、同い年くらいだったあの頃のわたしのこころに、しっかりと刺さった。

いまでも、「ヨーイドンすべきではない」と思っている。
強く、それはもう強く

でもそれは、悲しんではいけないとか、誰かと比べて自分の痛みを軽視していい。という話とは違う。

痛かったよ。
親指が動かない”だけ”だったかもしれない。
指は十本残ってる。
でも、痛かったよ。すごく。

怪我から得たものはたくさんある。
あれから、自分の身体を顧みるようになった。
「働けない身体でも生きること」の情けなさを経験していたからこそ、今回の休職だって乗り越えられた。
二度目の痛みだ、と思えば。
もう一度きっと、大丈夫だって、宛てのない希望だってつぶやけた。
良くも悪くも人生も、人格も変わった。
もし会えるなら、怪我をしなかった30代のわたしに会いたい。
きっと、いまのわたしとは全然違う生き方をしていると思う。

でもね、不幸だったよ。

どうして、わたしの指だけ動かないんだって
ステージにいる他のすべてのひとを呪ったよ。
きちんと、丁寧に
そして呪ってしまう自分を、強く責めた。
そんなふうに思ってはいけない、他人と比べてはいけない。
あのひとの手が動いたってそうじゃなくたって、わたしの手とは関係ない。
だから、決して比べてはいけない。羨んではいけない。

「良いこともあったから、不幸だと思ってはいけない」と
最後にはそんな言葉で、自分をぶん殴っていた。

不幸の受け入れ
においがしないこと

いろいろあるけど不幸じゃない
に、慣れすぎ

このメモを残した日のことは、うすぼんやり覚えている。
通勤途中の、エスカレーターだったと思う。
それ以上は思い出せない。

思い出せないけれど、
「味覚も嗅覚も戻ってないけれど、食べられるものがあってよかったね」
なーんて、また思っていたよね。
それはそれでいいんだけど

不幸だったね。
食べたいと思うものを食べられない身体になって。
「美味しそう」と思って口に含んだものを、「おいしくない」と何度顔をしかめただろう。

それはとても、不幸だったね。
同じ病気になっても、同じ症状にならない人もいる。早く治る人もいる。
そもそも、同じ病気にならない人だって大勢いる。
もちろん、「食べられるものがない」と苦しんでいる人だってきっといる。

そう、ぜんぶ間違いじゃなくて。
ぜんぶ間違いじゃなくていいんだよ。

不幸だったね。
苦しかったね。
でも、食べられるものを見つけて、食べて
あと、愚痴を聞いてくれる友達がいてよかったね。有り難いね。

あの日、ハチクロがわたしに教えてくれたことは
「傷を軽視してもいい」なんてことじゃ、決してない。
誰かの痛みを思いやる、ということ。
自分のほうが痛いからって、誰かの痛みがなくならない。ということ。
だから「ヨーイドン」してはいけない、ということ。

だからもう、平気な顔をしなくてもいいよ。
大事なことはきちんとわかっている。

わたしは有り余る幸福を抱えながら、
不幸であることを、きちんと背負い込んでいる。




※now playing




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