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愛のかたち

投稿したエッセイを確認していると、ページの下部に「このクリエイターの人気記事」が表示される。
むかしは、「クリエイター」と呼んでもらえることそれだけで、なんだかぽかぽかと嬉しかった。
居場所を、与えられたような気持ちになった。
たぶんあのころは、居場所というものが必要だったんだと思う。

書き続けて辿り着いたのは、「座れればどこでもいい」のような、野生児のような魂だった。
わたしが本当に必要なのは、居場所じゃなかった。
いや、居場所もあればいいのだけれど、プライドを折るくらいならいらなかった。

「へたなプライドなんか捨てちまえ!」みたいな台詞が、ぐさっと刺さっている時期もあった。
でも、いまなら言える。
プライドより大事なものは友達だけ。
だから、自分の内側の世界の中で、わたしは決してプライドを折らない。
できるだけすなおに、友達と、尊敬する人の意見を聞こうとは思うけど。

話が逸れてしまったけれど、「このクリエイターの人気記事」には、note公式マガジンさんにピックアップされた記事が順番に並ぶことが多い。
全部で15本くらいだろうか。

ピックアップしてもらうと、スキの数も閲覧数もいつもの比ではなくなるので、当然のように「人気記事」みたいな顔をしている。

noteでエッセイを書き始めて、2年。
ピックアップしてもらっていたのは、最初の1年くらいのあいだで、最後は去年の7月だった。

8月に病気になってしまってから、更新の頻度を落として、同時にピックアップもなくなった。
毎日更新に戻しても、ピックアップされることはなかった。

そのことに、落ち込まないわたしはつまらない人間だろうか。
書きたいから書いている、という諸刃の剣を、今日も振りかざしている。

つまり何が言いたいかって、「このクリエイターの人気記事」には、もう1年以上見慣れたエッセイしか並んでいたなっかたのに、
なんだか珍しいものを見つけたので読んでみた。

noteで毎日エッセイを書くようになってから、約3ヶ月。
まだ、無職だったころの話だ。

同居人と少し揉めたあと、彼は黙ってカツ丼を作り始めた。
そういう話だった。



「同居人の好きなところ」というのを、設けないようにしている。

「好きなところを作ったら、そこがなくなったら好きじゃなくなるみたい」というようなことを、彼は言った。
それが、すごく好きだった。
恋するみたいに、好きだった。

「料理をしてくれるところが好き」というのは簡単だった。
仕事の日はお弁当、毎日のばんごはんを用意してもらっていた。
そのことは、わたしたちを幸福にさせた。
わたしは与えられることが好きで、彼は与えることが好きだった。

でも、あなたがいつ料理をやめても別に構わない。
そう思っていたのに

まさかわたしのほうが、あなたの料理を受け付けない身体になるとは思わなかった。


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