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【往復書簡】 言い訳する大人

\\\往復書簡、やってます///
 人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙


 手紙のお返事にずいぶん時間がかかってしまったよ〜
 っていうか、思ったよりめけの返事が早い。ありがとう。

「早く返事がきたから、早く返さなきゃ」と焦り、その結果「連絡が来るたびにビビるスタイル」を長年積み重ねてきてしまったわたしですが(これは同士いると思う。LINEの未読が増えると気重になるタイプ)
「相手はそんなふうに返事を待っていない」ということに気がついたので、どっしり構えることにしました。
 もちろん、LINEの返信は”早め”のほうが健やかなのでね、早めにするようにしているけど(できないときもある。そういうときは頑張らない)
 手紙はいいだろ! 好きなときに書く!


 めけへのお返事を書きたいな〜〜〜と思いながら、後回しにしていたのには理由があって、調子が良かったからいろいろ自分の執筆作業を進めていたのです。

 あれこれめんどくさいな〜って思ってたことも、体力があるとオモロく乗り越えられるね!
 やる気ってのは、体調の良さに比例することがわかった。
 やはり、やる気が出ないときは寝ておくに限るのである。

 あと、お手伝いしたepのリリースに向けて、そわそわしていた。

 このあいだ会ったときに言ってた「RECしなきゃだよ〜〜〜」「早くRECしてライザのアトリエに帰りたいよ〜〜〜」ってメソメソしてたの、無事にリリースになりました。よかった。
「希望の或処」だけピアノを弾いたんだけど、めけが昔のわたしを思い出して、「懐かしい」って思ってくれたら嬉しい。っていうのは、こちらの勝手なんだけど。そんなふうに思ってる。




 さて、前回の手紙のお話なんだけど、わたしはこれが気になったというか、引用するならコレ。

 つまりは妄想するだけに飽き足らず、小生はそれを物語にしてしまう。そんな生き物なのかもしれません。

 これは、その前の手紙に書いたわたしからの質問「締切がないのに創作するのはなぜか」の答えにあたる言葉だと思っていて
 これがね〜〜〜私的には、なかなかおもしろかった。

 誤解を恐れずに言うけれど。実は、めけが言っていたこの言葉、わたしはあんまり好きじゃなかったの。

『よいインプットなしには、よいアウトプットはできない』

 わたし自身の創作は、インプットとアウトプットにすごく偏りがある。
 おそらく、インプットは少ないタイプというか、偏りがある。
 あるときはカービィみたいに何でも吸い込んで、ネタ帳にもいろんなものが溜まってゆく。
 けれども、ネタ帳って増えないときは増えないんだよな〜
 そういうときって、書きたいこともうまく沸かないというか、けれどもそれでも、わたしは毎日書くんだよね。

 でも、めけさんと下北に行ったときのことをさ、いまでもよく覚えていて。ほら、蔦屋書店でいろいろ本を見たじゃん?
 あのときにわたしが「小説を書いてみたい」って言っていて
 そうしたらめけはね、「ひとつずつ考えている」というようなことを言っていたの。

 この子ならどうするかなって
 それをひとつずつ膨らませてゆけばいい。

 そう言っていたよね?
 それが、めけのいう「素材は多いほうがいい」という言葉にあたるんだと思うんだけど。

 たぶんめけは、行動そのものが取材で、
 言ってしまえば、生きていくそのものが妄想なのかもしれない……と言ったら言い過ぎなのだろうけれど。
 たぶん、わたしとの会話もどこかでネタになってゆくし
 わたしに声をかけてくれたのも、何かしらわたしの生体が気になるというか、いやはやこれ言い出したら全部がネタと妄想の火種になってしまうぞ?と思うのだけれど、あながち間違っていないというか。
 めけは、そんなふうに世界を見て、愛して、どこかで面白がって、そして膨れ上がってゆくから書いてゆくんだろうなあ。と、思う。


 自分で問い掛けておいてなんだけど、「締切がないのに創作するのはなぜか」
 わたしの根本的な理由は、自己の肯定だと思う。

 きっかけは、会社を強制無職になった出来事だったのだけれど、その前からnoteは始めていて
 その原因は、「バンドを辞めたこと」にある。

 20代は、夢追い人ではないけれど(別に夢を追ってバンドをやっていたわけではないから)、「音楽活動を頑張る人」というレッテルに守られていて
 そこでバンドを辞めてしまったら、ただのフリーターじゃん?
 じゃあ正社員になっちゃえよ、ってハナシだったんだけど、微塵もなりたくなくて。
 だから、厳密にいえば「正社員にならない言い訳」が欲しかった。バンドの代わりのね。

 今でも正社員になるイメージが上手く沸かないというか
 今の会社で「正社員になりたい」って言ったら、明日にでもそうしてくれるという事実がまた、わたしを調子づかせているのもわかっているのだけれど

 最初に、曲を書いた頃に記憶が戻る。
 あるいは、ワープロを与えられて日夜妄想の世界へと旅立っていた14歳の夜に。

 わたしも最初は、妄想や想像を綴っていたのだけれど、最近の自分はそうじゃないって気がついた。だから「小説を書きたい」と願ったのだけれど、その話はさておいて


 めけの話を聞いて、すごくすとんと腑に落ちた。
 現在放つわたしの言葉はすべて、「手紙」なのだと。
 自分のエッセイを、「インターネットの海に、瓶詰めして投げた手紙」と無意識のうちに称していた、それがすべての答えだった。

 書かずにはいられない。
 それがどれだけ面倒で、億劫で、傷ついたとしても
 人生の大半をわたしは、手紙を書くことに投じたいと思っている。
 どれほど書くことがつらく、億劫になり、締切もインプットもなかったとしても。

 もともと体力のあるタイプではないから、正社員として一生懸命仕事をして、残った体力で「書けない」という人生を歩むのが本望ではない……というのが、ひとつ思っていたことだった。と、病気になる前の自分のことを思い出したりしてみている。
 そして、「会社にいると一生懸命働いてしまう」という、案外すなおで真面目な自分の存在を、いま受け止めている。
 なまじ仕事ができて、褒められたりすると、猿のようにウキウキと木の上に登って、懸命に働いてしまう。そして家ではグッタリ。




 いやあ、人に投げかけた質問で、自分をこんなに暴けるとは思わなかった。だから、書くことはやめられない。

 何より「特定の人物に宛てる」手紙のおもしろさに、いまガツーンと殴られている。めけさん相手じゃなきゃ、こんなにすらすらと自分のことを話さなかったと思う。
 だって「バンドを辞めて書いている」なんていうプロフィールは、この5年ほど変わっていないのに、わたしはこんなにすなおに自分の気持ちを綴ったり、向き合ったりしたことはない。
 いやはや、持つべきものはオッサンの友である。
 同年代の友人の「一緒にダンジョンをくぐり抜ける」ような、方を組むような安堵感とは異なる、オッサンはすべてを知っている。ような気持ちにさせてくれる。
 まあ、二十年経ったところで、わたしは相変わらず人生に悩んで、何も知らん妖怪に成長していると思うけどね。


 何はともあれ、話を聞いてくれてありがとう。すっきりした。

 こういうのさァ、こっ恥ずかしいから「返事はいらない」って思うんだけど、返事が来ちゃうのが往復書簡のコワイところというか、今はオモロイところだと思っている。

 めけが、どこまでわたしの話を”聞かずに”いてくれるのか
 わたしは、期待している。


 2024年5月7日 ねる

(追伸)
 わたしの年齢は、毛利小五郎と同じくらいなので、わたしもそういった意味でオッサンみたいなものですが、妃英理(小五郎の奥さん)は、オバサンっていうかできる女って感じなんだよなァ
 わたしこのまま、オバサンじゃなくて、ババァっていうか、妖怪みたいな年の取り方をしたいと思っているので、できれば「オバサン」よりも、「クソババァ」と呼ばれたい。
 しかし、めけの前では小娘でいさせて欲しい。


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