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それでも、原初の炎は燃えている

今年も、こんなお知らせが届く季節になりました。

note、2021年の記録。

書いた本数、スキされた数、全体ビュー、増えたフォロワー
それから、よく読まれた記事…など。
今年1年を振り返ることのできる内容になっています。

Twitterでも、noteで知り合った方々の「2021年の記録」が出ていて、まじまじと見ちゃう。

そして、比べてしまうわたしがいる。

わたしより、「書いた記事の数」が多いひとは、まだ見ていない。
つぶやきを中心にnoteを使っている人や、今年途中で断念した「毎日2本の更新」をやりきった人がいたら、わたしよりも多いのだと思う。そういう人も絶対にいる。

それなのに、スキされた数とか、全体ビューは人より少ない…
もし多かったとしても、わたしは691本も更新してるんだから、どう考えても1記事に対する値は少ない。

と、思ってしまう。
思ってしまうというか、事実なのである。

わたしが多いのは、書いた記事の数だけ!
これは裏切らない。
唯一、自分で増やして、コントロールできる数だから。

あと、「今年よく読まれた記事」は、公式マガジンにピックアップしてもらったものになるんだけど、
これはすべて今年の前半(7月まで)に書いたもの。

病と戦いながら8月以降に書いたものは、地中深くに沈んでいるような気がしてしまう。
8月以降のわたしは、なんだったんだろう…と、
思わなかったと言えばうそだ。

わかっている。
他人の評価は関係がないのだ。

こんなの友達に相談したところで、「君はよく頑張ったよ」「人と比べる必要なんてないじゃん」と言われるのがオチだ。
わたしの友達はやさしい。

他人の評価は関係がないのだ、と思って書くことを始めた。
これが、わたしの原初の炎だ。

直近でやっていたバンドは「売れたい」と思っていたから、「売れるため」の選択を続けてきた。
あるときは音楽活動そっちのけで営業活動、フォロワーの数を増やせ!みたいな話も散々聞きに行った。
音の面では、「スキな音」より「バンドとして必要な音」を選んだ。
それじゃあ、わたしじゃなくてもいいんじゃない?って、何度も思った。

その前の音楽活動でも好きなことをやりながら、「やっぱりお客さんを増やしたい」とか、それはお金の問題にもなって、「2000円で10人お客さん呼べたら、ライブノルマを支払える」とか。
今だから正直に言うけど、お客さんの顔が1000円札に見えてたこともあった。
家賃払うのもギリギリで、でもライブをすれば「自分が払う10000円のノルマ(お客さんを呼べただけ支払いは減る)」と、「その日の日給5000円〜7000円」をマイナスにしているわけだから、仕方ないと言わせて欲しい。どれだけ正しい感情じゃなくても。
だから、音楽よりも営業、っていうときは多々あった。
自分がライブハウス勤めだったから、「ノルマそのものを減らせ」なんて言えなかった。お客さんも来なくて、出演者がノルマを払わなければ、誰がスタッフの給料と家賃を払うというのだろうか。
だから、練習よりも告知の文章を発信することばかり、頑張ってしまっていた。

もう、誰にも愛されなくていい。
愛されるために何かをするのは、もう辞めにしたい。
そして、わたしのためだけに書き始めた。

もっと愛されるための書き方とか、話題の作り方とか、更新頻度やそのタイミング、告知の方法、嘘と真実の割合、自分のキャラクター設定の仕方
やろうと思えばできたことはたくさんあった。
でも、それはぜんぶ辞めるって決めたんだ。

書くことがいちばんで、告知の方法は二の次。
誰かに見つけてもらえればラッキー。
そして「見つけてもらうための努力」は、「毎日書くこと」にいちばん比重を置いた。

わたしは、これからもこの炎を絶対に消さない。
「お金をもらわない制作」に於いては、もう絶対に折れない。

それでも、気にしてしまう。
やっぱりだめだったのか、と思ってしまう。
そりゃあ、見てもらうための努力なんかしていなかったし、毎日書いていること以外特にスペックもない。
わたしよりすてきな、おもしろい文章を書く人はたくさんいる。
当然、たくさんいる。
そんなこともわかっている。
もうわたしは、自分に大きな期待をしていない。

頑張っていればいつか、とまったく思わないこともない。希望は常にある。
だけど、「頑張ってライブをしていれば、いつかライブハウスでえらい人の目に止まって、メジャーデビューできる」という神話は信じていない。
そんなふうになった友達は、知る限り一人もいない。

わかってんなら気にしなけりゃいーじゃん
という言葉の通りなんだけど、気にしてしまう卑屈なわたしを、今年はしっかりと飲み込むことにした。
しょーがない、と丸呑みしたあとは、部屋の隅に転がしてある。そして捨てずにいることにした。

気にしてましたよ!正直ね!
誰かのハートの数と、フォロワーの数と勝手に自分を比べたりしてましたよ!
誰かの成功を勝手に羨んだりもしてました!

だからこそ何度でも思い出すんです、原初の炎。
誰かに言い訳だって言われても、構わないんです。
自分への言い訳かもしれない、と疑うときもあるけれど、前に進むために不要だと思ったそのときには、きちんと捨てるから。
どうか、進まないための言い訳にはしないように。

たったひとりでも会いたかった。
わたしが、あの歌を聞いて「生きよう」と思えたように、
いただいた灯火を、どうか誰かに。
届いたらいいな、って思ってた。

だからわたしはしあわせです。
こーんなにたくさんのひとに、出会って、大切にしていただけて
それだけでよかったんです。

何かを羨んだり、悔しくなった気持ちがぜんぶ消えるわけじゃないし、ぜんぶ消す必要なんかない。
悔しくても、事実だから。
誰かよりも数が少なかったこと
そして、わたしだってあなたに出会えたこと。

来年は、次の目標を見据えたいと思っています。

ここ2年で、会社をクビになって、無職も、社会復帰も、病気も経験してしまったから、少しだけ生き方の後押しをいただいたような気持ちでいる。
変わりたい、と思う。

「毎日noteを書きたいからやらない」って、それは寂しいから言いたくなくて。
書くことは、「やりたいこと」だから。
「やるべきこと」を優先したいし、ああでも書きたいなあ。
少しだけ賢く生きていけるよう、願って…いや、努めてゆく所存です。

ああ、今年も書きたいことばっかり書いてしあわせだったな!
悪くない景色だよ、まったく。

これからのわたしを信じている。
ああ、そうだ。今年いちばん読まれた記事が、こんなタイトルの記事だった。



【photo】 amano yasuhiro
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