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【感想文】世界を変える子どもたち +10/29講演会に向けての予習

「”発達障害は才能である”っていうテーマで、講演会をやるんですよ。相模大野で」

ミツルさんが言う。
ちょうどさっき決まったところで、と。

講演会、相模大野。
聞いたことのある言葉が、パッと脳内で点灯する。

町田には、長いこと暮らしていた。
大学が町田で、そのまま長らく住んで、職場も町田だった。
相模大野はその隣の駅で、正直あまり行ったことがない。
けれども、この広い東京で(相模大野は神奈川だけど)、知った地名を聞くと、ほっとする。
それも”よく知った”地名というのは少なく、「だいたいあの辺り」じゃなくて、家からの乗り換えが完璧にわかる場所は、稀有だと言ってもいい。

この日、ミツルさんと会うのは2度目だった。
1度目に会ったときは、副業に関するイベントで、「ああ、こういうひとにからだを見ていただけたらどれほど安心だろうか」という、あたたかな焚き火のような、ミツルさんはそういう話し方をしていた。

(最初にお会いしたときの話)

わたしの、身体の不調や悩みを伝えたそのあとにも、「一度ぜひいらしてください」と快く言っていただいたとき、それだけで泣きそうだった。
もう三人の内科医から、遠回しに、しかしはっきりと「できることはない」「見つけられる異常はない」と言われていたところだった。
それは、単なる事実であり、しかしながら人を殺すに値する、充分な絶望でもあった。
だから、「わたしを見捨てないでくれようとしている人がいる」と言うと大げさだろうけれど、ほんとうに、わたしには大きな、大きな救いだった。
ああ、まだこの世界に、わたしの身体を「よくしよう」として、手を差し伸べてくれる人がいるんだ…

そんな救いの施術を受けながら、ミツルさんは言った。
相模大野で、公演。
名をよく知るあの街で、このひとの話がまた聞けるのか。

「いつですか?」と聞いたあとには、「行きます」と答えた。


改めてチラシを見ながら、「発達障害」というワードに、まったく気が重くならなかったと言ったら嘘だ。
難しそう、と思った。
わたしにはあまり関係がない、とも思った。

わたしには、知らないことがあまりにも多い。
わたしの世界は、あまりにも小さい。
このあいだ、保護猫の活動を支援する募金活動をしている人を見かけて、募金した。
友達が猫を飼わなければ、或いは友達の「弟が保護猫と暮らし始めた」と言って写真を見せてもらっていなければ、募金はしなかったかもしれない。

わたしの世界は、あまりにも小さい。
だからこそ、出会うことで世界を広げてゆきたい。
そこに扉があることを、教えてもらう。
わたしと出会ったその人が、その先に持っている世界に、扉に、触れさせてもらう。

この機会がなければ、”発達障害”という言葉について知ろうとしなかったわたしが、
「世界を変える子どもたち」に教えを請う、今日はそんな物語。

無知がゆえ、不適切な表現がありましたらすみません。
得た知識や学びに感謝するばかりで、わたしの知った世界を、次の誰かに繋げるために書いています。


”障害”という言葉で思い出すこと

突然の自分語りになってしまうけれど、わたしは静岡の田舎出身である。
地方出身の人はみんな「田舎」っていうと思うけれど、ウチはその中でもなかなか上位の田舎で、人数が少なすぎて小学生のあいだはクラス替えがなかった。

転校生、というものにも憧れた。
小学校2年生のときに転入生がきて、それだけだった。
学校全体がそういう感じで、誰と誰が兄弟だとか、どこに住んでいるとか、親の顔はみんなが知っているとか、そういうような暮らしだった。

小学校6年生のときのことを、今でも忘れない。

当時の担任が、「障害教育」というのだろうか、言葉が不適切だったら申し訳ないのだけれど、そういうクラスに携わる教員になりたかったらしく、障害クラスの人と交流することがあった。

同年代の、知らない人に会うという機会がうんと少ない田舎のコミュニティに、その子たちは現れた。
初めての出会いにこちらも緊張していたのに、なぜだか「頑張っておもてなししなければいけない」という空気をかもし出されて、一生懸命に頑張ったのだけれど、なかなかコミュニケーションが取れなかった。

そして、コミュニケーションを取れないことを「怖い」と思った。

そのときやってきた子たちが、どのような障害だったのか、先生にどのような意図があったのか、わたしにはわからない。
ただ今でも、「怖かった」ということだけを、覚えてしまっている。


”怖い”という言葉で思い出すこと

18歳で家を出て、町田の大学に進学した。
軽音部でバンドを始めて、大学4年生のときライブハウスでアルバイトを始めた。
就職しないでフラフラしていたら、店長に「うちのシフト増やすか?」と拾ってもらった。
それから二十代の半ばを過ぎるまでは、ライブハウスのアルバイトと、自身の音楽活動を並行するような日々だった。

気づいたらわたしは「ライブハウスをレンタルする大学生」から、「ライブをした大学生にお礼を言われるスタッフ」にジョブチェンジしていた。
そういうつもりじゃなかったのだけれど、結果的にそうなっていた。

ライブの終わり、PA席のほうを振り返って「ありがとうございましたァ!!」っていうやつ、このあいだまでアタシも言ってたのに、言われるほうになったのか…!と気づいた瞬間は、なんだか感慨深かった。

22歳で大学を出て、24,5くらいのときだろうか。
仕事にも慣れて、大学時代の仲間にも会う機会がうんと減っていた、あのころ。
あの日、わたしは疲れていたのだろうか。繁忙期だったのだろうか。
それとも、いつもより派手めな大学生が、いつもより大人数でやってきたからだろうか。こちらの注意を無視して、大幅にタイムテーブルを遅延させたとか、そういうことがあったからだろうか。
こう、言ったことを覚えている。
いまでも、鮮明に。

「大学生って怖いね〜〜〜〜〜」

そう言ったあと自分で、「なんて言った??」と驚いた。
たった数年前まで大学生だったのに。
例えばそれは、「子どもって何考えているかわからず扱いが難しい」というような意味合いで、わたしは「大学生って、やたらと無敵で話を聞かないから意志の疎通ができなくて怖い」と言ったのだ。

ああ、わたしはただ、「自分と違うもの」が怖いだけなんだ。
そう思ったことも、覚えている。
わたしはもう大学生には戻れなくて、「ありがとうございました!!」をこのあと何百回言われても、自分で言うことはなくて
あのきらびやかな無敵な眩しさは、もう手に入らなくて、時間が経てば忘れていって、

わたしはいつの時代も、「自分と違うもの(想像範囲を絶するもの)」と「コミュニケーションを取れないもの」を、恐れているんだ…


障害とはなんなのか

自分語りはこのあたりにして、今日の課題図書”世界を変える子どもたち”の話をはじめましょう。

ここでいったん、「障害とは何なのか」という根本的な話をさせてください。
仮に障害が「生きづらいもの」であるとするならば、生きづらくなければ障害ではない。これが私の考え方です。

この大前提を踏まえると、片付けのできない子に「片付けをしなさい」と大人がガミガミ叱るのは、わざわざ「障害」をつくっていることになります。子どもは怒られないように片付けをしたいのに、やり方がわからなくて、できない。そのために生きづらくなってしまうからです。

”世界を変える子どもたち”p109~110

このページには、棚に「えんぴつけずり」「ガムテープ」という張り紙がついている写真が掲載されています。
大好きな工作の時間を「のりやはさみを探す時間」に費やす時間が多く、もったいないと感じていた女の子に「いつも同じところに置いておいたら、次に工作するときに探さなくて便利だよね」と声をかけたところ、女の子が自主的に張り紙をした。というエピソードです。

また、p113の写真について

「入れません」「ドアはゆっくりあけてね」という子どもたちへのお願いごとを、「子どもたちに対する直接の注意」ではなく、視覚的なメッセージで伝えています。

言葉で伝わらないなら、文字で。文字で伝わらないのなら、絵で。手を替え品を替え、子どもたちが「そういうことか」と受け取れるように、メッセージの伝え方を変えてゆきます。
子どもたちに伝わる手段は、必ずあります。

”世界を変える子どもたち” p112

「生きづらさ」という感覚は、大なり小なり誰にでもある。
という言葉で、”障害”を軽視するつもりは決してありません。

でも、もし小学校6年生のわたしに会ったら、伝えてあげたいです。
「その子に適した伝えた方があるんだよ。それがいま、お互いにわかっていないだけなんだよ」
伝わらないことは、怖いことだよね。寂しいよね。
だから、伝えた方を一緒に探していこう。

こんなふうに言ってあげられたらよかった。
だいじょうぶだよ、って言ってあげたかった。
わたしにも、小学校に来てくれた子たちにも。お互い不安だったよね。何のための交流会かわからなかったものね。

このときわたしたちが、適切な交流手段を持っていれば、お互いが「生きづらさ」を感じることはなかったと思います。


生きづらくない世界であること

今回は「障害」というテーマで、わたしみたいにちょっとひるんでしまった人も少なくないと思います。

でも「生きづらさ」というと、みんな心当たりがあるのではないでしょうか。
さきほどはコミュニケーションの問題を挙げましたが、コミュニケーションのぶつかりっていうのは、家族だって会社だって、身近なところでも発生します。

みんなが、生きづらくないこと。
「生きづらくない」という状態は、ひとりひとり違うということ。
どうなったら大切な人や、生きやすく楽しく暮らしていけるかということ。
そして、わたしの「生きやすい」というのは、どんな状態であるかということ。

現代では当たり前のツールとなりましたが、わたしがLINEでのコミュニケーションがあまり得意ではありません。
大人数のLINEになってしまうと、いつ返事をしていいかわからず、「わたしはいいのでみなさんで楽しんでね」「わたしの話はたいしたことないので…」という感じで、一歩退いてしまいます。

LINEに限らず、「大人数でのコミュニケーションが」が得意ではないということにも、近年気づきました。
4人以上になると、なんとなく聞き役になってしまいます。(4人以上のときって、飲み会が多いからかもしれませんね。わたしはお酒をあまり飲まないので)

コミュニケーションツールでは手紙が好きで、「末永く仲良くしたいなあ」という友達には、手紙を書くようにしています。
でも「手紙は苦手なので」と言われたときに、「わたしだってLINE苦手じゃんか!」と猛省したことがあります。

わたしにだって、「生きやすい」とか「得手不得手」があります。
今まではなんとなく、「苦手なことは我慢して、適切にまわりにあわせてゆく」というように生きてきましたが(学校でそのように教わったことが、刷り込まれてしまっていましたね)
まずは自分のことをもっと知ること。
同じように、誰もが程度は違えど、「生きやすい環境」があるということを、念頭において生きてゆかなければなりません。

ビジネス書の多くに、「部下のポテンシャルを最大限に発揮させるには、とにかく強みを伸ばすこと。短所は気にしなくていい」と書いてあります。
そのような一節を読むごとに、私はこう感じます。

「そんなこと、学校では習ってないよ。子どものころに教えてよ」

日本の教育は「短所是正法」。長所には目を向けず、弱い身を徹底的に克服せよとする考え方です。

”世界を変える子どもたち” P117

たとえば、小学校3年生にして『ハリー・ポッター』を全部自分で読んでしまうような子は、きっと国語がめちゃくちゃ得意です。
(中略)
本が好きな子は往々にして、数字が苦手な傾向にあります。すると今度は、算数の学力が小学校3年生の基準に届くよう、とことんやらせます。

この子はどう思うか。「自分は算数ができない人だ」ということだけが強烈に自意識に植え付けられるわけです。小学校3年生にして『ハリー・ポッター』を読破してしまうような、国語が大得意な子であるのにもかかわらず、です。

”世界を変える子どもたち” P117~118

これを読んで、他人事ではない。と思いました。
わたしも本が大好きな子どもで、数字は今でも苦手です。
数字に対する苦手意識はずっとあって、高校の数学は赤点ギリギリ、大学でようやく数字から開放されましたが、ライブハウスではその日の「会計の締め作業」をしなくてはいけなくて、すごく苦痛でした。

本を読むこと、文章を書くことは、「言われてみれば」ずっと好きだったのに、「文章を書くことが好き」と断言できるようになったのは、毎日noteを書いて1000日を越えた、つい最近の出来事です。


世界を変えるおとなたち

今回、「障害」について、あまりにも多くのことを知らなくて、感想文を書きたいと思っても、何から書いていいか困ってしまいました。

第2章の「障害への無知であふれる日本」そして「資格について」は、本当に誇張なく、知っている情報がまったくありませんでした。

そうすると感想文を書いている場合ではなく、「このすばらしい著書を読んでください」と、それに尽きてしまう。

でも、無知なわたしにも理解できる項目はありました。
「周りの子とは違う」ことが強みになる時代になった、とか
「好き」がすべての才能の入り口である、というのは
今のわたしにだって、突き刺さる言葉です。

まずは、わたしがわたしを理解すること。
わたしが、わたしの「好き」や「才能」(それが他人とどれほど違っていても)を認めてあげること。
当たり前にできることを「当たり前」だと思いすぎないこと、それは得意なことかもしれないこと。
わたしが得意なことを、苦手な人もいること。
そのときにどうすれが、お互いが「生きやすくなるか」考えること。

そして、「生きやすくするため」に最善を尽くし、変化を恐れないこと。
この感想文を書いたあと、会社のゴミ箱の横に、新しいゴミ袋が設置されていることに気が付きました。
ああ、そうだ。ここにゴミ袋があったら便利なんだ。
そこに気がついたあと想像してみて、誰も不利益を被らなければ置けばいいんです、ゴミ袋。
そうやって、日々の暮らしをアップデートしてゆくこと。

そしてみんなが、
いや、少なくとも触れ合っている身近なひとたちが「生きやすい」と感じられるその環境が作ることができればーーー

おとなのわたしが、そんなふうに世界を変えてゆけたなら

発達障害の子どもたちは、素晴らしい才能にあふれています。
子どもは早くから、自分の才能に気づく。周りで見守る大人たちも同じく、その才能に気づき、磨く手助けをして、育て、社会へと送り出す。発達障害のある人が、社会でその才能をいかんなく開花し、周りから求められるーーー。
決して夢物語ではありません。

本書を読んでくださったひとりひとりが、少しずつでも行動を変えれば、実現可能なはずなのです。

”世界を変える子どもたち” P188

すべてのひとが、すばらしい才能にあふれている。
それは、わたしも例外ではありません。そして、あなたも

自分の才能を知る人が、他人の才能を開花し
自分を愛せる人が、他人を愛してゆく。
そんな世界の一端を、担ってゆく

わたしたちが、身近な人たちの「生きやすい」を連鎖させてゆくことを、繰り返す。
そのひとりずつが、世界と変えるおとなたちとなってゆく。
わたしも、そのひとりにならなくてはなりません。
たくさんのおとなや仲間の手を借りて、健やかにここまで導いていただいた命のひとつとして


(さいごに)

今日は昔話が多くなってしまって恐縮ですが、最後に高校の卒業アルバムから

無知は罪
でも、知って伝えないことは、さらなる重罪です。

もう十余年も開いていない高校の卒業アルバムに、こんなことが書かれています。現代文の先生が書いてくれたものだと記憶しています。

わたしは無知な罪人かもしれない、無知を被り、学びの海を泳ぐのでしょう。
今回のわたしの学びだって、ほんとうに小さなものかもしれません。
でも、知った、
少しでも学んだ、触れた、知り合えた。
友達が猫を飼って、保護猫の活動に募金したように。
またひとつ、新しい世界を知った。

先生の教えに則って
そしてわたしの願う世界の末端を担うために、今日も書きました。


「世界を変える子どもたち」
発達障害の本だと気構えてしまいましたが、とても優しい本でした。
書籍に対していう言葉ではないことは重々承知ですが、こんなにゆっくりと話してくれる本は他にはないです。
この本を開いたひと、すべての人が最後までページをめくるように、優しく包み込んでくれるような一冊でした。

この世界を生きる、すべてのひとに無関係ではないこの一冊が、必要な人の元へ届くことを祈るばかりです。


2023年10月7日 ねる


ご興味のある方は、講演会でお会いしましょう。
予約制なので、興味の下記のポストをご参照ください。


ミツルさんが、講演会まで毎日書いているnote:まとめマガジン


はじめて施術していただいた日のこと

3回目の施術で、ミツルさんといろいろおしゃべりしたメモ



自分の得意や生きやすさを探す、お手伝いのできる感想文たち


その他、感想文や推し活まとめ


話を聞かない医者のはなし

命を、繋いでもらった夜のこと


ご意見、おしゃべりなど
(今日の記事で、何か不適切な表現があったらすみません… やさしくご指摘いただけると幸いです)


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