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「誰か、煙草に火をつけて」

タイトル通り煙草の話なので、嫌いな方はごめんなさい

煙草を吸っていたら、同居人が手を伸ばしてきた。

なに?と思ってそちらを見ると、わたしの手からすっと煙草を奪っていった。
ああ、一口だけ吸いたかったのか。
そういうこともあるよね、とわたしは頷く。

同居人は深く、一度だけ煙草を吸って、わたしに返してきた。

ああ、そういえば
わたしは、知っている。
この、深くひとくちだけ吸う、その煙草のこと

もう、ずいぶん昔の話になる。

ふたつのバンドを掛け持ちして音楽活動をしていたときの、企画ライブ。
ふたつめに始めたバンドの企画ライブだったんだけど、わたしがもうひとつやっていたバンドも呼んでもらった。

出演順は、最後と、その前。
2ステージ連続の出演は、気持ちの切り替えが難しかった。
特に、最後に出るバンドの方は加入して間もなかったので、不安も大きかった。
ひとつが終わってすぐに、もうひとつが始まる。
「終わった」という興奮を、わたしは一度、沈めなければいけなかった。

「誰か煙草に、火をつけて」
そう言ったことを、覚えている。

当時は、みんなが煙草を吸っていた。
誰のでも良かった。
いつもの自分の煙草、じゃなくてもいい。
1本吸っている時間の余裕はない。

誰かの火のついた煙草を大きくひとくちだけ吸って、「ありがとう」と言えたかも覚えてない。
わたしは背筋を伸ばして、楽器を持ち替えてステージへと帰った。

そのひとくちで、生きられる、と思った。
これで大丈夫、と思った。
共に演奏を終えたバンドメンバーから手渡された煙草で、
そしてそれは、気軽にひとくちの煙草を譲り合える仲間で、
「いってらっしゃい」の気持ちで、吸いかけの煙草を受け取ってもらえて。

それで、充分だった。
ただの煙草だけど、
なんだか、充分過ぎる出来事だった。

もう、ずいぶん昔の出来事になっちゃった。
でも、覚えているよ。

あの日に鳴った、音があること。
分け合える仲間がいること。
いまは、あんまり会えないけれど、友達じゃなくなったわけじゃない。
共に培った時代が終わっても、消え去りはしない。

まだまだ僕たちは友達で、
まだまだ音楽はおもしろい。
きっと、みんなそうだから。

あんまり遠くならないうちに、会おうね。
また、遊ぼうね。

それまでずっと
みんなが煙草をやめちゃっても
わたしが、一筋の明かりを灯しながら

ピアノを弾きながら、生きてゆくよ。







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