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夜に抱かれて

ああ、と思って立ち上がる。
それは、なかなかの勇気だった。

夜、眠ろうと思ってベッドに潜り込む。
ごろごろと温めた居城で、ようやく眠ろうと消灯ボタンを押す。
立ち上がるのは、いつものそのときだ。

電気は点けない。
そのまま飛び降りて、窓へ
手を伸ばして掴む。
そうして、カーテンを開ける。

ある人は、「少し」と
ある人は、「不必要に」と
いうくらい、自分の中では「結構しっかりと」開ける。

すうっと、部屋が明るくなる。

明滅する信号と、眠らないコンビニの灯りに抱かれて、眠る。

「前の家は、大通りの近くで結構うるさくってさ」
友達はそう言った。
そして驚いた。
「うるさい」というのが、居住のマイナス点になる人がいるのだ、と。

うるさいのは好きだった。
そりゃあ、毎日工事の音がするとか、アパートの大規模修繕に当たっちゃったとか、そういうのは嫌だけれど。
車や、電車の音は安心する。
夜でも、そう思う。

わたしたちが選ばなかったのは、小道をうんと入って、暗がりにある静かな一軒家で
いま住んでいるのは、車がびゅんと飛び交う通りのすぐそば。
いつでも、車の音がする。

わたしは、安心する。
自分が、世の中の一部にきちんとなれているような
どこかと繋がっているような
現実世界を生きているという実感が
もしかしたら音そのものが
わたしにとってはすべて、波のようなものなのかもしれない。

夜にカーテンを開けるのは、朝のためじゃない。

もちろん、それもあるのだけれど
安物のレースカーテンからは、信号とコンビニが見える。
それを確認してから、眠る。
目が悪いから、本当は何も見えていないけれど。
まるで、儀式みたいに。
そうして、今日も無事に終わった、と思う。
わたしとして、人間として、世界として
無事に過ごせたことを、じんわりと労りながら。

今日も深く、夜に抱かれることで
なんとか明日の裾を、捕まえている。



※now plyaing


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