5メートル先の、裏側を見よ
うちの、隣の通りで工事をしていた。
よく晴れた、午後の出来事だった。
日課の散歩は、いくつかのルートを持っている。
歩きたい場所と、時間の兼ね合いで、ルートを決めたつもりが
わたしはふらっと、曲がりたくなる。
または、曲がることを取り辞める。
もう少し、というのはなんと甘い響きだろう。
もう少し、行ってみようと思う。未知の誘惑に打ち勝てない。
または、少しだけさぼっちゃおう、という日もある。
その日は、行ってみよう、と歩き出したところだった。
家からはほど近いけれど、あまり行かない場所っていうのは少なくない。
駅からもスーパーからも薬局からも外れた道には、あまり近づかない。
隣の通りは、まさにそんな場所だった。
駅もスーパーも薬局も、桜の木も梅の木もない。
ただそこは、もう少し歩いた先にあった。
*
工事をしていた。
工事の風景というのは、ぼおっと眺めてしまう。
大きかったり細かったり、何かが動いているからついつい見てしまうのだろうか。
もちろん、近くを通るときは、危なくないかも気をつける。
ああ、知らなかったなあ。
隣で工事やってたのか。
ここまで来なければ、知らなかったなあ。
ただ、それだけのことに、しみじみにしてしまう。
ああ、
来なければ、わからなかったな
見なければ、わからなかったな
ほんの、すぐ先だったのにな。
ああ、
わたしの人生ってば、なんてちっぽけなんだろう。
わたしが、見ようとしているところしか見えてない。
ああ、
わたしの人生ってば、
たった数メートル進むだけで、知らない世界に辿り着けちゃったりするんだな。
*
「すべてを失うには、まだ早過ぎるから」という歌詞を書いたことを思い出した。
20代の前半で、わたしはいまより素直な言葉遣いをしていた。
残酷であっても真実を、惜しげもなく語っていた。
そうだった。
いつだってそう。
まだ、すべてを失うには早い。
だってまだ、その先の通りをまだ見ていない。
もう少し、あと5メートルだけでも
走ることも、続けることも、律儀でいることも、栄えあることも、
わたしにはできないことがたくさんあるけれど。
あと5メートル先だけは、それくらいは
いつでも、進めるわたしでいられたら
裏側の通りを、覗き込むことができたならば
きっと、それだけで
わたしには、充分なのだろうと思う。
※あと5メートル走る人のはなし(ハングルース)
※バスに乗った日のはなし
※今日のBGM
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