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雨をずっと、見ている

雨を、見ている。

今日は朝から、雨の音がしていた気がする。
わたしはソファーから、のそのそと起き上がり、やっぱりのそのそと煙草に火をつける。
湿気こそ強く感じるが、連日の照るような暑さとは、少し違う。
エアコンをつけるかどうかは、部屋中の窓を開けて、扇風機を全開にしてから考えようと思った。

最近は暑くて、冷たい飲み物ばっかり飲んでいたけれど
今日は、やかんでお湯を沸かして、牛乳をたっぷり入れたインスタントコーヒーを飲む。
そういうのが、似合う朝のような気がした。

久々に、インスタントコーヒーと煙草、という朝を迎えた。
そして、開け放った窓から、雨を見た。

雨は、ずっと見ていられる。
川で水面を見たり、星空を眺めたりするのと似ている気がする。
自然の音と、温度や湿度を全身に受けながら、動いている雨のひとつずつを見つめる。


雨は、ずっと見ていられる。
でも、今までの人生で「のんびり雨を見る」ということを、あまりしてこなかったことに気がついた。


仕事や、その昔学校に行っていた頃は、雨は憂鬱だった。
中学生のときなんか、自転車通学だったから
カッパを着て、自転車に乗らなきゃいけなかった。
考えるだけでも憂鬱だ。

おとなになって仕事に行くようになってからも、やっぱり雨は憂鬱だった。
とにかく靴が濡れるのがいやだったから、長靴を履いて、職場でスニーカーやサンダルに履き替える。
それでも最近は、かわいい長靴や、おとな用の長靴が発明されたことは、なかなか画期的な出来事だと思う。
お気に入りの傘をさして、お気に入りの長靴を履くので、少しは気が紛れた。
それでも、「雨だ!お気に入りの雨グッズで出掛けよう!」という気持ちは、雨に濡れたり、鞄が浸水したり、電車の湿気に当たったりすると、しゅんとしぼんでしまう。


仕事が休みの日に雨が降ると「ああ、雨か〜」と、少し損をした気分になる。
出掛ける用事があれば億劫になるし、
用事がなければ、籠城を決め込む。
そうしてそういうときは、布団にくるまってごろごろする。
雨音に耳を傾けて、子守唄のような気分だ。
今日の籠城を、後押しされたり、肯定されている気分になる。
そして、そういうときはわざわざ、外の景色なんか見ていなかった。


いま、無職になって
朝、カーテンを開けて窓から外の景色を見ることは、日課になった。
そうして今日は、ゆっくりと雨を見つめている。

飽きることなく、降り注いでいる。
煙草を吸っている10分(わたしはアメリカンスピリットを吸っているので、1本の時間が長い)のあいだにも、強くなったり弱くなったりする。
人はあんまり歩いていない。
ときどき冷たい風が、ぶわりと吹き抜ける。
牛乳たっぷりの、半端な温度のインスタントコーヒーとも、よく合う。
わたしはただ、ずっと、雨を見ている。


無職にならなければ、きっとこんな気持ちにならなかったと思う。
外の景色をきちんと見よう、とか
雨だけど、しっかり朝起きてみよう、とか。
いままでのわたしには、きっとできなかった。

布団にくるまっているのとは、また違う意味や目線で
少しだけ、いまの自分を肯定された気がする。


これからまた、忙しい日々がいつか来るかもしれない。
もしかしたら、禁煙する日もくるかもしれない(予定はないけど)
引っ越して、換気扇の下(喫煙所)から外が見えなくなるかもしれない。

それでも、
この気持ちを、ずっと覚えていたい。

雨が降るたびに、
いや、何回かに一度でもいい。

雨が降っていて、
もしわたしがふさぎ込んでいるような未来が来たら
雨音に耳を傾ける余裕すら失う日がきたら、
ざあっと強制的にカーテンを開けて、5分でいい。
雨を見つめて、正気を取り戻したい。

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