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あなたの中のわたし

わたしは、すぐに見失う。

ずいぶんまぬけだと思っていたけれど、もう気づいている。
見失うのは、目的地を定めていないからだ、ということに。

わたしは、歩いている。
ふらふらと、進んでいる。
進んでいるのか戻っているのかもわからないけれど、足は動いている。
もしかしたら、泳いでいたり溺れていたりするのかもしれない。
これは、「とどまらない」という、それだけの意味でしかない。

だから、「ここはどこだろう」とか、「どこへ向かっているんだろう」と思ってしまうのは、当然の出来事だった。

もう少しよく考えればいいのに、わたしはそれをしない。
言葉を用いて毎日綴っているはずなのに、言語化もうまくできない。
魂の赴くまま、なんて言えば聞こえだけはいいかもしれないけれど、要するにまぬけなだけだ、と思う。

それも最後に、「まあいいか」に帰り着く。
まあいいか。
ふらふらでも、言語化できなくても、
そういう生き方があってもいいし、そういう物書きがいてもいい。
まじめとか、志の高さとか、計画性とか、
そういうのは、そういうのが得意なひと、に任せておけばいい。
いまのところわたしには、あんまり必要がない。ということにしておく。
言い訳かもしれないけど。悪くない、と思っているので仕方がない。

今日は何を書こうかな、と思うとき、ぼおっとデスクに座る。
最近は「書きたいこと」も、あんまり上手に思い浮かばない。
書きたいことがあるわけじゃないのに書くのは妙だなあ、という気もするけど、
そういう人がいたって、そういう時期があったって、何も悪くはないのだ。と思ってしまう。
わたしは、ぼおっとする。

花のある暮らしをはじめて、少し経つ。
せっかくだから、少しだけ片付けをして、デスクに花を飾ってみた。
だからよく、花瓶を見つめている。

花は幸福だ、と思う。
理由があるなら知りたいけど、言語化できない。
でも、好きだな、と思う。

花は良い、と思いながら花瓶を見つめていると「透明な花瓶を満たす、水もいい」と思う。
ときどき、小さな空気の泡が浮かんでいて、やっぱりぼおっと見つめてしまう。

「花瓶の水だけでも、いいなあと思うのよ」

キッチンで、ぼおっと告げた。
ぼおっと話すのを、許してくれる人だった。
わたしはその夜、安心して言葉を紡いでいた。

「水が好きって、言ってたもんね」と返ってきた声を聞いて、驚いた。
ああ、そういえばそうだった。と、ぱあっと思い出したのだ。

君に何度も話したね。
水が好き、川が好き、水面が好き、きらきらしているのが好き、
コーヒーの入ったマグカップを見つめていることすら幸福だ、と
そうだ、確かにそうだった。

わたしは、すぐに見失う。

明確な目的地も、計画性も
理路整然と言語化する能力だって、持ち合わせていない。まぬけな人間だ、と思う。

そんなわたしのことを、わたしの好きなものを
こうして、誰かが代わりに覚えてくれていたり、教えてくれたりすると、ほっとする。
ああ、そうだった。わたしはわたしのままで、悪くない。だいじょうぶだ、と思えてしまう。

ありがとう、覚えてくれていて。
あなたと、あなたの中のわたしが導いてくれた夜を、いまでもときどき思い出している。



【photo】 amano yasuhiro
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