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適切な視線と距離

「息、うまく吐けなかったですか?」

そう問われて、わたしは困ってしまった。
それは病院の出来事で「歩くと息苦しさがあるんです」と伝えたら、脈とか血圧を測られて。
値が正常だったので「呼吸の検査しましょう」と言われて
向かった先で、何やら太い管……管と言うには太すぎる、くわえるには適さない、ストロー50本分くらいの物体を一生懸命口に入れて、「息をこぼさないで」「口をすぼめて」「吐いて」「止めて」「吸って」っていうのを
うまくできるひとって、この世に存在するのだろうか。

すごく正直に
「あれがうまくできるひとって、いるんですかね?」と尋ねてしまった。

もちろん、先生が求めているのはそんなまぬけな感想ではなくて、「息がうまく吐けていなかった」という事実それだけだった。
「ぎりぎりの正常値ですね。ぎりぎりですね」
副音声で「アウトですよ」と聞こえてくる。

先生の話をわたしなりにまじめに聞きながら、「そうかあ」と深く頷いていた。

何がそうかというと、「息をうまく吐けていなかった」。これに尽きる。
ここのところのわたしの悩みと言えば「息がうまく吸えない」だった。そう思っていた。
歩くと苦しくて、ときどき立ち止まって、少しだけマスクを外して深く息を吸う。そうしてまたあるき出すのを繰り返していたというのに。

「吐けていない」というのは、なんだか衝撃だった。
そんなつもりはなかった。

物事の裏側、をときどき忘れてしまう。
わたしがもう少し賢ければ、最初から疑えていたんだ。
「吸えないってことは、吐けてないってことかもしれない」と気づくことができたら、もう少しすこやかな結末を迎えられた気もしている。

表裏一体
この言葉を作ったひとは、ほんとうにすごい。

冷たい紅茶を飲みながら、わたしは考える。
紅茶を飲みたい、と思った。
それは、コーヒーを飲みたくなかったからかもしれないし、喉が乾いたからかもしれないし、やっぱり紅茶を飲みたかっただけかもしれない。
気分を落ち着けたかった、そういうわたしもいるかもしれない。
本心って、掴むのは難しい。感情は幾重にも分岐している。

でも、ときどき物事の裏側を疑えば
「なーんだ、そんなことか」って、思えることもあるような気がする。
物事の裏側を、たまには底から覗いてみたり、蹴り飛ばしてみたり、遠くから見たり

適切な視線と距離が、必要な気がしている。
自分や、誰かや、なにかに、やさしくするために。

追い詰めないで、思い込まないで、適切であろう
そうしてやさしくあろうと願った今日のことを、ぼんやりと抱えながら、生きてゆくことができますように。





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