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あの日のお迎え

あ、と思う。
前を歩く人を、見送る。

帰り道、駅の近くで車に乗り込む人がいる。
お迎えが、来ている人。

18歳まで、とんでもない田舎に暮らしていた。
いま住んでいるところも、すごい都会というわけじゃないけれど、駅までは歩けるし、電車でどこへでも行けるようになった。

地元にいるとき、家の前のバス停にバスがやってくるのは、1時間に1本か2本くらいだったと記憶している。
静岡駅から最寄りのバス停までの最終バスは、18時台だった。
その手前、本数が多いバス停というのは家からずいぶんと離れていて、歩いて40分くらいかかったと思う。

高校生になって行動範囲が増えたあとは、だいたい母親が車で迎えに来てくれた。
携帯で呼び出すと、いつもの場所に車を止めてくれる。

「ただいま」と言って、助手席のドアを開ける。
「おかえり」と返ってくる。

高校生のわたしは、もちろん車の運転ができない。
助手席に座ること。
母親が隣りにいること。
それはもう、家と同義だった。
もう大丈夫。
あとは眠っていてもたどり着くし、好きな話をしても良い。
家についたら起こしてくれるし、そういえば起きずに眠り続けていた日もあった。それでもよかった。
だって、家だから。

わたしにはもう、迎えに来てくれる人はいない。
歩きと電車でどこへでも行けるのだから、必要もないことだって、わかっている。
同居人もわたしも、車の免許を持っていない。

失われたもの。
別にもう一度手に入れたいわけじゃないのに
わたしはばかのひとつ覚えみたいに、ぎゅんとした気持ちで、
駅前の車を、いまでも見つめている。







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