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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#思い出

月明かりに照らされて

「あなたの文章は、本当に良い」 ときどき、そんなふうに言っていただけることがある。それも、真顔で。 本当に、そう思ってくれているンだろうなあ。 ありがたい、と思うのに、そういうときだけ意識がひゅうっと抜ける。 いや、まさか、わたしが、 気づいたら、「いやいや、そんなことは…」と言いながら、自分のダメな部分をバーゲンセールのように語り出してしまう。 褒められるのは、昔からあんまり得意じゃない。 洋服とか、ハンカチとか、ネイルだったら「ね? かわいいっしょ?」なんて言えるのに

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晴れた日、午後のカーテン

左手の指輪を忘れた。 ここのところ、もう何年になるだろう。 ずいぶんと長いあいだ、左手の中指に指輪をしていた。 指輪を忘れると、寂しい。 なんだか、落ち着かない。 忘れないように、いろんな工夫をした。 財布にしまったり、鍵と一緒にキーホルダーにくっつけたり。 忘れてしまった日には騒いで、リボンを巻いてもらったこともある。 だから、細心の注意を払っていた。 左手の中指は、わたしのポラリスだった。 迷っても帰ってこられるように、幼い魔法がかかっていた。 わたしは、いまでも

いつつの灯火

「もうすぐ、40だから…」 そう言った本人も慌てていたし、わたしもびっくりした。 だから、「もうすぐ」なのか、「次」または「春で」と言ったのか、わたしももう覚えていない。 ただ、目の前の人は「もうすぐ訪れる春、次の誕生日で40歳」になるらしい。 彼女とわたしの年齢差は、5。 わたしが彼女の年齢を何度忘れても、この数だけは覚えている。 あれ、あなたこのあいだまで35とか、6じゃなかったっけ? いや、おかしいな。 ああ、わたしはこのあいだ、そう、34になったんだ。 うん、そ

ふるさとを語れない

母からのLINEを、ぼおっと見つめていた。 * そもそも、痛みと絶望感から始まる愚痴だった。 どうしても耐えられない。 鼻に綿棒を突っ込まれるのも嫌だし、いやでも麻酔だから必要なのはわかっていて、そのあとの痛いアレも治療だってわかってはいる。もちろんだ。 治療中も痛いし、その後も1〜2時間はじわじわと残る痛みと違和感に付き合わなければいけない。 という治療を、週に1度受けている。 「今週も頑張った」 「つらい」 「痛い」 「来週から治療が少し変わるから、痛くなるかもって

あなたと過ごした810日

点くはずのないマークに、わたしは首を傾げる。 このマークは「頑張ったご褒美」で点くやつだから、ログインしただけでは点かないはず。 通算ログイン810日を達成する お知らせの内容はこれだった。 30回ログインするだけでもらえるボーナス。 ときどきサボってしまう日とか、時期もあるけれど、だいたい1ヶ月に1度のご褒美。 そうかそうか、今月もそんな時期か。 今回は何がもらえるかな〜とにやにやしてしまう。 * 思い出したのは突然だった。 唐突に気づいた、とも言える。 810

わたしの未来を生きていて

メッセージを開いたら、写真が届いていた。 誰かの顔のアップで、それが送り主でないことだけはすぐにわかった。 「誰だよォ」と思いながら、タップした3秒後には泣いていた。 顔を見た瞬間、ほんとうに、じわりと涙が滲んできた。 ほんとうに、久し振りに見る顔だった。 仲間内で話題になっても、「最近会った」という人はいつもいなかった。 それでも、懲りずに名前は挙がり、「元気かなあ」とか、「元気だろうね」とか、思い出話に花が咲いたりしていた。 久し振りの集まりに顔を出したということは

ある日、夕方の記憶

歩き始めて数分経ったら、チャイムが聞こえてきた。 平日、夕方5時の音。 この平日は、わたしにとって休日で、「散歩にでも行こうかな」と思っていたら、こんな時間になってしまった。 梅雨の湿気も、夏の暑さも得意ではなく、憎らしいと思ってしまうのに、日が長いのはちょっぴりありがたいと思う。 夕方5時でも、明るい世界。 だらりと過ごしてしまった日中の罪悪感は、かんたんに打ち砕かれてしまう。 夏至は、もうすぐだ。 * チャイムの音が鳴り終わった頃、ジャージ姿の中学生をすれ違った。 背

幸福の水曜日

子供の頃、水曜日が好きだった。 水曜日のために生きていた、と言っても過言ではない。 小学生の頃、部屋に放置されていた少年サンデーを盗み見していた。 あの頃はなんとなく「自分は読んではいけないもの」だと思っていた。 実際、”犬夜叉”に出てくる妖怪は、ちょっと怖かった。 小学校高学年とか、中学生になると、堂々と読むようになった。 なぜだか、そうなっていた。 毎週水曜日は、サンデーとマガジンの発売日。 わたしは、これを楽しみに生きていた。 毎週毎週、飽きもせず、凝りもせず、

2014年からの贈り物

「散歩をするといいよ。日のひかりを浴びるの」 そう言われたことを、いまでも覚えている。 そしてそのときのわたしが、ほとんど散歩をできなかったことも。 あのとき住んでいた中野の風景を思い出すと、いつも曇り空だってことも。 * 骨が折れていたときの話だ。 折れていた、というのは実際のところ比喩で、わたしの骨は”剥がれて”いた。 剥離骨折、というやつらしい。 ひどい打撲だなあ、と思っていたら、骨折していた。 1度目の病院のときに、骨折を見つけてもらえなかったのか、実際に骨

桜の埋葬

気づいたときには、割れていた。 瞬間、驚いたけれど、割ったのはわたしではない。 割れたまま、そこに置かれていた。 友達の部屋での出来事だった。 晩ごはんをご馳走してもらったお礼に、お皿を洗おうとした、そのときだった。 シンクの隅に、静かに佇んでいたのはお気に入りの平皿だった。 彼女にとっても、わたしにとっても。 このお皿に出会ったときのことを、いまでも覚えている。 「買っちゃった」と言った彼女は、笑顔だった。 絶妙な大きさの、青い陶器のお皿で、わたしもすぐに気に入った。

バンドマンの彼女にはなれない

事実はタイトルと相反していて、わたしはバンドマンの彼女だった。 もう、10年近く前のことになる。 大学に入って軽音部に入ったわたしは、バンドに憧れていたのだと思う。 音楽に惹かれていた、というほうが正しかったかもしれない。 ピアノのレッスンに通っていたわたしから、脱したかった。 嫌いだったのはレッスンだけで、先生も、音楽教室の存在そのものも、わたしは好きだった。 おそるおそる、軽音部の新歓ライブに潜入して、その後すぐ入部を決めた。 初めてライブハウスに行ったのもその頃で、

「車は、横には進まないから」

コンビニまで、あと10メートル。 大きなトラックが、わたしの横をすうっと通り抜けて、コンビニの前に停まった。 わたしは、車の免許を持っていない。 この車はどうしたいのかな、どうすれば邪魔にならずにいられるか、わからないままのおとなだ。 だから、いまでも大切にしていることがある。 わたしはこのことを、いまでも時折思い出す。 * 高校生のとき、夏休みだけガソリンスタンドでアルバイトをしていた。 校則では、アルバイト禁止だった。 わたしは生徒会長で比較的顔も知られているほ

ねえ、わたしもおっちゃんみたいに、なれたかなあ

大学1年生から、お便りをもらった。 stand.fmで気ままなおしゃべりを始めて、120日を過ぎたときの出来事だった。 わたしは友達の家からの帰り道で、この手紙を読んだ。 何度も、何度も読んだ。 勉強が嫌いだけど一生懸命頑張って、第一志望の大学に入ったけれど、まだ1度もキャンパスに足を踏み入れていない。受け入れなくてはいけないと理解しているけれど、この1年間を無駄に過ごしてしまったような気がして、不安で苦しい。 そして、「身近に話せる人がいないので、まつながさんを頼ってし

真空パックの呪い

音楽をやってきた、という言い方はしっくりこないのだけれど 誰かに経歴を伝えるときには、どうしてもこの言い方になってしまう。 実際、音楽をやってきたのだとも、うすぼんやり思っている。 大学では軽音部、 卒業してからはライブハウスに入り浸った。 そんなわたしのiTunesや、iPhoneの「ミュージック」アプリには、”友達の曲”というものが、存在する。 数はきっと、少なくない。 わたしの世代は、「CDを焼く」ことができるようになり、簡単にデモCDの配布もできるようになった。