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お墓の、もう1つの意味
秀吉は、死んでも死にきれなかった。
太閤さまこと、豊臣秀吉のお墓へ参りました。
お墓は、徳川派の東本願寺を、秀吉側の西本願寺とで挟み込む絶好な立地。
周到に計画された、山頂の墓石までの見えるか見えないかのアプローチ。
そして山頂から見下ろす、世俗が戯れる清水の舞台。
そこは訪れる者に、秀吉への畏怖の念を湧き起こさせる、周到な舞台装置となっていました。
秀吉すらも抗えぬ命運(彼の場合、寿命・老衰?)への悔しさ、まるでその悔しさが、後世まで生きながらえて残されているかのよう。。。
このお墓は、遺恨ならぬ遺痕と言えるかもしれません。
そんななか、僕は別の戦国大名の墓所を思い出しました。
山口は萩、東光寺の毛利家墓所。
無量の灯籠と、5人の毛利家藩主を祀る5つの鳥居が生み出す空間からは、
もはや霊的恐怖すら感じました。
しかし太閤さんの墓所とは違い、外部や現代にまではみ出してくる意思のような、都市計画的影響は感じません。
墓所は寺域に収まり、比較しちゃうとまるで、未来世代には口出しをせず、いやもはや後世の人々が自発的に毛利のために造営したかのような安心感。
もちろんどちらが優れているかなんて、議論にはなりません。
ただ、お墓は、現生の人々が過去の身近な人物を偲ぶ機能もあるけれど、
それと同時に、
いずれ時間の彼方に忘却されてしまう、確かに存在し、生きた人々がいることを伝える、最後の砦なのではないか、そんなことを考えました。
その時代、その時代ごとにいろいろな困難があって、有名無名問わず、
多くの人々がその困難に立ち向かったはず。
だけど、死んだら、せっかく全力で生きたその痕跡すら、記憶されず消えてしまうのかもしれない。
それはなんだか、底知れず悲しい。
だから、生前に墓を立てて(計画して)、未来を偲ぶ。
自分は死んだらどんなお墓を建てられるか、
意外と人生の目標になるかもしれませんね。
(20210409)
豊国廟
萩藩主 毛利家墓所
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