サッカーが出来るのは当たり前じゃない
その日
私は東日本大震災の本震の揺れを知りません。
10年前のきょう、翌日に金鳥スタジアムで行われるセレッソ大阪vs柏レイソルに備え、静岡の自宅から奈良駅前のホテルに向かっていました。
新幹線を京都で降りてJR奈良線で向かうか、いったん新大阪に出てから大和路線で向かうか、迷った挙句前者を選択。
それが命運を分けました。
JR奈良線の車内、ふと気づくと滅多に連絡などよこさない妹からの着信履歴が。
何事かと掛けなおすも通じず、Twitterをチェックして初めて事の次第を知りました。
ワンセグTVからはあり得ない光景が映し出されています。
しかし、私の乗る列車は何事もなく走行しています。
新幹線のほうは地震検知システムが作動し、私が乗っていたこだまも京都発車後に足止めを食らってしまったようです。
新大阪経由を選択していたら、缶詰めになるところでした。
明日がどうなるかもわからず、静岡に戻る足もないので予定通り奈良のホテルに宿泊。
各方面とはここでようやく連絡が取れました。
もちろん試合は延期。翌日には東海道新幹線は復旧していたので自宅に直帰です。
金鳥スタジアム初来訪がフイになってしまったのは残念ですが、そんなこと言っていられません。
次にいつサッカーがやれるか、見られるかもわからなかったのです。
背後に瓦礫の山 ソニー仙台vs長野 七ヶ浜 2012年8月撮影
津波被害にあった仙石線野蒜駅(バス代行中) 2012年8月撮影
二つの「当たり前じゃない」
「いつになったら再びサッカーが出来るのだろうか」
「こんなときにサッカーをしていていいのだろうか」
「サッカーが出来るのは当たり前じゃない」
震災後しばらくは、こんな言葉がプロ選手の口からも発せられました。
それから十年、熊本地震の際も、そして現在のコロナ禍においても、
同じような叫びを繰り返し耳にします。
次にいつサッカーが出来るとも分からない不安。
衣食住に必ずしも必要ないサッカーに打ち込む罪悪感。
そんなことを、この10年の間に何度も感じなければいけなかった。
理不尽な、ろくでもない10年間。
私は「サッカーが出来るのは当たり前じゃない」を違う角度から感じてきた人間です。
いくら叫んだところで、この気持ちは現役の選手には通じないだろうと思っていました。
しかし、図らずも多くの現役選手が一時的とはいえ同じ境遇を共有することになった。
二つの「当たり前じゃない」を同一視していいのか。
議論はあると思います。
しかしコロナ禍による活動制限がずるずると引き延ばされていく中で、
さすがに焦りを感じている育成世代の選手も多いのではないでしょうか。
その焦りこそ、私が成長する間ずっと感じていたものです。
いつか取り返しのつかない年齢になってしまう。
そして実際にそうなってしまった。
そもそもサッカーが不要不急だなんてとんでもない。
衣食住レベルで比べれば確かにそうかもしれませんが、
一人の人間が成長していくにあたり、実に多くのものが得られるのがスポーツです。
百歩譲って不急かもしれませんが、断じて不要ではない。
しかし満足に関われる年齢には限りがあります。
後でやればいいんだと軽々しく言うべきものではありません。
関われなかったことによる喪失感は、晩年になっても心の闇を大きく支配します。
失われた時を巻き戻すことは出来ないのです。
常磐線 不通区間代行バス 竜田駅 2016年8月撮影
常磐線 不通区間代行バス 小高駅 2016年8月撮影