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「夢」や「目標」をもたないという選択もありなのでは?

先日、note様から「noteを始めて4年間が経ちました!」というお知らせをいただきました。

ほぼほぼ毎日投稿をしてきたので、「頑張ったな自分!」と言ってあげると共に「4年前にイメージしていた自分とは大分違うよね~」という話題も出てきました。
#全て自分の中で
#一人会議

「第3の居場所をつくる!」ための自分磨きとして情報発信を始め、たくさんのサポーターさんに応援されながら「居場所をつくる」という目標は達成されました。

ただ、「学校に変わる子どもの居場所」としては、まだまだ足りていないですし、この居場所を運営する費用に関しては、アルバイトの日給にも届かない状態。

だからこそ、この「ピースカフェ」という地域の拠点の価値を最大限にアピールしてお金を発生させようと足りない頭をひねっています。

もちろん、ここまで継続できたことは、大きな進歩なのですが、振り返ってみれば何度も諦めようとしました。

その度に「なぜ、諦めるのか?」と自分に問いかけ続け、「まだいけるかも…」と気を取り直し、なんとか這いつくばって続けてきたのです。

思い返せばスタート地点に立って勝手な理想を思い描いていた時が、一番自由だったなぁと思う今日この頃。

当時の青二才は、「努力すれば何だってできる!」と思い、気持ちだけは既に夢を叶えたような心境でした。

しかし、今のぼくは、「確かに努力でカバーできる範囲もあるけれど、闇雲な努力とか継続が命とか、夢や目標は絶対にもった方がいい!とは言い切れない場合もあるなぁ」と思うのです。

そして、こんな記事も書きました。

本記事では、「目標をもつこと」について、もうちょっとしつこく書いていこうと思います。

ぜひとも、「そーゆー考え方もあるよね」くらいの気持ちで読んでみてくださいね。

動画はこちら👇


▼「夢」とか「目標」とかもっていなくてもいい!

小学校の先生であるが故、子どもたちには「夢とか目標をもった方がいいよ!」とか「努力すれば必ず夢は叶うんだ!」と言ってあげたい衝動にかられます。

ただ、4年間をかけて自分なりのやり方で努力や継続を続けてきたエビデンス1の意見を素直に伝えると、

「努力も方向性が大事」
「やりたいことと環境のマッチングが大事」
「何よりも『自分』を振り返る力が大事」

と、様々な「大事なこと」があり、ただ単に「とりあえず夢をもっておけばいーよ」とは言ってあげられない。

最近では、「夢とか目標をもった方がいい!」という大人側の理想を押し付けた結果、素直な子どもほど思い悩むのではないか。

「明確な夢とか目標なんてかがなくても、『今が最高だぜ!』と心から楽しめているのであれば、周囲がとやかく言う必要などないのではないか」とも思うのです。

何が言いたいかって、

「あまりにも夢や目標を押しつけ過ぎなのではないか。」

ということ。

「夢や目標を叶えるために努力を継続すること」は、人生を充実させる力がある反面、理想と現実のギャップを突きつけてくる。

だからこそ、「成功者」と呼ばれる人は、このギャップに何度も果敢に立ち向かい、ギャップさえも乗り越えたからこそ大きな結果を得たのでしょう。

そして、みんながみんなそのようなギャップ乗り越え職人にはなり得ない。

むしろ、夢や目標を強制することにより、望んでいなかった挫折方面へ子どもを追い込んでしまうことさえあるのではないかと思うのでえす。
#でえす

そもそも、「夢や目標を叶えよう」という考え方自体、それほど古いものではありません。

#僕らはそれに抵抗できない」によれば、

「以前は、英語で書かれた書籍に『目標追求』という言葉が登場する回数は、ゼロに近かったが、1950年を境に爆発的に増えた」

というのです。

きっと、1950年あたりから「新しい生き方のトレンド」なるものが広がっていったに違いありません。

この「目標文化」、日本にはもっと遅れて入ってきたと考えられますから、ざっくり見て、「個人の目標達成が命!」という考え方が生まれてから、50年ほどしか経っていない可能性があります。

そして、「目標文化」に拍車をかけたのが、何と言ってもSNSでしょう。

「成功者風」の人の発信や、「結果を出している風」の人が語る成功法則が巷にあふれているのは、そのようなノウハウを求めるニーズが育ってきたということ。

そして、現在。

「目標文化」に多少の疲れが見え始めている。

「夢や目標」、「自己実現」、「自分らしさ」なんてキラキラワードを並べられたもんだから、なんとなく走り出したものの、一向に目的地にたどり着く気配がない。

ふとスマホを除くと、自分が思い描いていた世界観で暮らしている人がいる。

そんな必要のない比較の毎日に、ぼくを含めて少しだけインターバルを欲している時代感になっているような気もするのです。

だからこそ、「#QUITTING」なる「やめる力」も大切ではないかと思うのです。

もちろん、答えなんてありません。

どのように生きるかもあなた次第。

ただ、必要以上に自分を卑下したり、本当の気持ちを隠して他者に合わせたりするような生き方は、子どもたちに教えたくないなぁとも思うのです。

生き方が多様になった分、「自分の生き方」は、自分で考えるしかありませんものね。

▼まとめ

本記事では、「夢や目標をもつべきだ!とも言えないよ。」という内容をまとめました。

と、書きましたが、「もたない方がいい!」とも断言していません。

必殺、「人によるよね」作戦でございます。

ぶっちゃけ、「夢や目標がなくったって生きていける」のは事実ですし、「夢や目標にたどり着けないことを悔やんで精神痛めるくらいなら、考えない方がいい」とも思うのです。

こんな考え方もいつか変わるかもしれませんが、note4年記念として、「今のぼくはこうだよ!」とここに書き記しておきます。



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