「見通し」と「意外性」~子どもが教師を超えるためにできること~
本格的な学校生活が戻ってきました! 休み時間や給食。やはり、授業以外の時間に子どもたちとの心理的距離を縮まるチャンスがあると改めて感じたJUNです!
改めて感じたことの2つ目として、「教育には正解がないんだよなぁ。」ということも感じました。
それぞれの教師が、毎日授業を積み重ねながら目の前の子どもたちに合わせて指導法を修正し、実践し続けているからこそ、「そのときの正解に近いもの」が結果として出てきます。
しかし、教育の難しさであり面白さは、「そのときの正解に近いもの」が、すべての学級にそのまま当てはまるわけではないということです。よく、「先輩の指導法を真似することから始めろ。」というアドバイスも聞きますが、教育に関しては半分当てはまりますが、半分はうまくいきません。
先人たちが行ってきた「効果的な指導法」は、確かに存在します。しかし、そのままの文字面を追って実践しても思ったような効果が出ない場合があります。やはり、目の前の子どもたちの実態や自分のキャラクターを含めて、指導法を自分なりにアレンジしないと、優れた効果を十分に発揮できないのです。
子どもたちと過ごす学校生活が戻ってきてから、そんなことをしみじみと感じました。
そして、本記事では「効果的な指導法」について僕自身もまだ結論を出せずに実践中の内容を書きたいと思います。
▶「見通し」か「意外性」か。
最近読んで、「学校教育にも取り入れられそう!」と思った有効な情報を得られた本に、「Hookedハマるしかけ使われつづけるサービスを生み出す『心理学』×『デザイン』の新ルール」著:ニール・イヤール 他 (翔泳社)というものがあります。
その中に、
「無限の予測不能性が、利用者を惹きつける。」
という内容が書かれていました。
ざっくり言うと、
「『何が起きるか予測できない。』という可能性が、人を惹きつける。」
ということです。逆に言うと、
「有限の予測可能性が、利用者離れを促す。」
ということになるのです。
「これから何が起きるのか予想できることは、飽きられてしまう。」
ということでしょう。
これは、学習にも言えるのではないかと思うのです。
学習に照らし合わせてみると、
「何が起きるか分からないからこそ、わくわく感が出る。先を見通すことができるようないつも通りの流れは、興味・関心を奪う。」
ということになります。
しかし、ここで迷いが発生するわけです。何に迷っているのかというと、
「活動の見通しをもつことができるからこそ、安心して取り組むことができる。」
という先人の教えです。
ここにきて、「どうすればいいんだ。」という迷いが生じました。
そして、迷いに迷ったあげく、苦しみながらも一つの手がかり的なものに行きつきました。それは、
「教師は、有限な枠組みを提供し、子どもの思考は無限となる。」
どうですか。ちょっと格好よくまとまりました。
でも、意味が分からないって?
意味を解説すると至極当たり前なことを仰々しく言っているだけだということが分かってしまいますが、
教師は、問題に対する予想から追究、そしてまとめ、振り返りといった一連の基本の流れを提供するつもりでいます。教材研究で準備しているというわけです。準備しているということは、有限な可能性ですよね。
この流れは、先が見えないと不安になってしまいがちな子どもたちにも、安心感を与えるはずです。
しかし、大切なのは「無限の予測不能性」です。子どもたちの意欲を引き出すためにも、ここを重視したい。
授業をするうえで「無限の予測不能性」を実現するチャンスは、教師と子どもに与えられています。
▶授業における「無限の予測不能性」。
さて、授業においてどのような場面に「無限の予想不能性」が実現するかですが、まずは、教師の場合から考えていきましょう。
教師は、授業を既に準備しているわけですから、
「無限の予測不能性が生まれるような授業を展開する必要がある。」
ということになります。考えられる手立ては、
①関係なさそうな資料提示、「何が始まるんだろう?」導入。
②子どもの定説を打ち破る「意外な事実」の提示。
③問題の結論を出さずにフェードアウト。次回へ続くorオープンエンド。
といったところでしょうか。
①②③に共通しているところは、子どもたちにとって「いつもの」という低刺激な授業ではなく、
「えっ!」「なぜっ!」と思ってもらえるような手立てをうつ。
ということです。
では、「子ども」発信の「無限の予測不能性」とは何でしょう。
これは、俗にいう、
「子どもが教師の思考を超えた。」
状態を意味しています。
主に話し合いに対して子どもが本気の意見をぶつけ始めると、
「教師が準備していた枠からはみ出し、話し合いが教師の予想していなかったところまで深まっていく。」
という状態を指しています。
まさに、「話合い活動」において子どもは、「無限の予測不能性」を常に持ち合わせています。
「それを上手に引き出すことが、僕たち教師の仕事だ。」と言うと、格好つけすぎだし、ハードルも上がってしまうのでしょうか。
すみません。聞かなかったことにしてください。
▶まとめ。
本記事では、「授業は、予測可能の範囲内からはみ出したところに価値がある。」という内容を書きました。
やはり、「安定」と「刺激」は、どちらも大切です。しかし、理想の子ども像に思いを馳せると、
「自分が準備した範囲から常にはみ出そうと思考する。」
子どもたちが面白いなあと感じます。
もちろん、そのような話し合いを実現するためには、授業の積み重ねが必要不可欠なのですが。
「話し合いに対して自分事として臨むことができる子ども。」は、一朝一夕で育てることができないということですよね。
まずは、「自分の意見を主張できる子ども。」を育てることから始めましょう。「教師の意図を汲み取って答えを探す子ども」ではなく、「自分の考えを堂々と主張し、その考えを学級全体で受け入れる雰囲気づくり」が重要です。さあ、明日からもこつこつと実践を積み上げていきましょう!
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