見出し画像

【メンバーシップ】「退学」した子どもが「勉強熱心」に!変化の理由は「関係性」だった!

学校に馴染めずに不登校となりながら、再び小学校という教育現場に戻ってきてしまったJUNです。

うれしいことに、受け持った子どもたちの中には、「将来は先生になりたいんだ!」なんて話をしてくれることがあります。

その流れで、「JUN先生は、なんで先生になりたいと思ったのですか?」となるのですが、その度に、「小学校の頃、学校が嫌いでね…」なんて話し出すと、若干気まずい空気にもなります。

ただ、「学校に馴染めなかった経験があるから力になれる子どももいるのではないか?」と考えたのは本当ですし、高校生の頃、隣町の特別支援学校へボランティアに行き、そこで出会った先生方が本当に素敵な働き方をしていたのがきっかけになったことも嘘ではありません。

そんなこんなで、もう17年も教育界に身を置くことになりました。

しかし、もともと馴染めなかった場所なので、先生になっても受け入れきれない文化があることも事実。

若手の頃は「まぁ、そんなもんか。」と思いながら実践していました。

しかし、「いや、これは違うぞ。」と感じることもあり、そんなときは、周囲の文化に適当に合わせつつ、自分なりの方法を試していました。

そして、「いつかこの価値観を変えられるはず!」と強く信じていたのです。

ただ、中堅からベテランへ移行する今。

学校のシステムは、少数の教員がいろいろいったところでがらっと変えられるような簡単な問題ではないかことを強く実感しています。

そんな無力感から心が悲鳴をあげた時、「学校でできないことなら学校外に作ればいい!」と自分のメンタル崩壊の予防線として始めたのがGLSだったと記憶しています。
#もちろんそれだけじゃないけれど

「いつか学校から飛び出して自分の学校を!」なんて息巻いていましたが、世間知らずの一教員ですから、挫折の連続。

自分の力のなさ、スキルのなさにより、できることの少なさを痛いほど実感してきました。

「力ない優しさを無責任という」

という言葉があるように、「子どもの成長と可能性を背負い切れるのか?」と問われたとき、この4年間、休まずにインプットを続け、「自分なりの効果的な実践方法」は見えてきたけれど、「確実に伸ばせますよ!」と自信をもってアピールできない自分もいる。

単純に怖いのです。

「教育をサービスにするってそういう覚悟なんだよなぁ。」と踏み切れないでいる自分は、「無責任」と言われるのを怖れ、覚悟が決まらない一人の弱い人間でございます。

なんだか弱気な記事になってきましたが、決して諦めた訳ではありません。

「教育」は、一つの組織が、一人の人間が全てを背負うのではなく、多様な場所があってもいいのです。

「ピースカフェ」が「第3の居場所」を掲げているように、「うちに来ればこんな力が身につくよ。いつでも待っているからうまく使い倒してね!」と、「気楽に利用できるけど、可能性も見つかる」みたいな居場所にすればいい!と方向性を修正してきました。

そんな選択できる場所が地域にいくつもあり、必要になった時に使うなんて関わり方が子どもにもとっても良いのだと思います。

このような価値提供の仕方は、きっとこの先、ものすごく大切になってくると思うのです。

もう少し具体的に言うと、

「大人から子どもへ知識が伝達されるという従来の方法ではなく、大人とか子どもというカテゴリわけではなくみんなが学び合っている関係性のつながりの中で必然的に学んでいく」

みたいなこと。

抽象的で分かりづらいと思いますので、ノルウェーで成果を上げているユース・インベスト・スクールの事例を取り上げて考えていけたらと思います。

▼主体的な学びは「指導」から「関係性」への変化によってもたらされる

ユース・インベスト・スクールというのはノルウェー発の「中途退学者に教育への関心を回復させる」という目的のもと始まった取り組みです。

学校を耐え難い場所だと感じ、行かなくなってしまった子どもたち。

もちろん、それは一つの選択なのですが、その結果、彼らの将来が危うくなり、ひいては国全体の幸福度も危うくなるという考え方から始まったプログラムなのです。

そんなユース・インベスト・スクールの成果とは何かというと、

「学校を退学した子どもたちが、学校へ戻ってくるだけでなく、教育へ熱心に参加するようになる!」

ということ。

こんな成果をあげることで、国際的にも注目されているようです。

気になるのは、「ユース・インベスト・スクールの何が魅力的なのか?」ということですよね。

ユース・インベスト・スクール最大の特徴が、「指導ではなく関係性に重点を置いている」ところにあります。

ざっくり言うと、

「先生との生徒という区分がなく、子どもたちは『若い学び仲間』と呼ばれ、先生と生徒が共に学んでいく」

というスタンスで運営されている。

だからこそ、

・カリキュラムは画一的ではなく、子どもの興味・関心に即したエマージェント・カリキュラム
・学びをフォローしてくれる先生は、学校の先生ではなく必要に応じて社会生活を営んでいる人たち全員が先生となる
・先生も学び仲間という認識のため、生徒と共同で学びを発表する会に参加する場合もある 
・学校の方針を決める会議に生徒も参加する

なんて取り組みが行われているのです。

なんと魅力的で楽しそう!と思うのですが、退学した生徒たちの気持ちを変化させた最大の要因は、「関係性の構築」なのです。

これまでの学校は、「先生から与えられた課題を素早く的確に処理できること」が求められ、そこに「自分らしさ」なんていらなかった。

しかし、時代が変わって「もはや、先生が教えてくれることって本当に必要なの?」と問われる時代にある。

そんな時代において確かなのは「正解とか不正解じゃなくて、僕は、これがやりたいの!だからやってんの!」という「自ら学ぶ力」。

この「自ら学ぶ力」は、学校で先生が「指導」すればするほど失われていってしまう。

だから「興味がないことを無理やりやらされている」とか「頑張っても難しいことを、みんなと同じレベルになるまで求められる」なんて苦行を強いられ、結果、「勉強?めんどくさい。」という考え方を量産することになる。

そんな「指導」という学校の基本的スタンスを、「一緒に学ぼう!」としたのがおもしろいのです。

「ぼくは◯◯について学んでいるけれど、先生は◯◯を調べていたよ!」

という同じスタンスにたち、「先生も僕も同じ学び仲間である」という関係性を構築することによって、上下関係とか、成績の優劣とか「勉強」をつまらなくする要素を捨てたのです。

▼ただ、道のりは長い…

知れば知るほど魅力的なシステムに思えてくるのですが、このシステムを取り入れようとすると、現状のシステムの大転換が迫られます。

「共通のカリキュラムがない」→「テストがない」→「受験が必要な学校の入学方法の変更」と、かなり大掛かりなことになる。

裏を返せば、それだけ「テストの点数」によって運営されている社会システムだったということかもしれません。

そもそも「学校」というシステム自体が、低コストで高品質の商品を大量生産するという工場をモデルとしていますからね。

ただ、そんな工場モデルも見直していかないと、子どもたちの本当の能力は埋もれたままになってしまうかもしれません。

未来を切り開く子どもたちには、他者と比べて一喜一憂するのではなく、自分の「好き」とか「得意」を生かして、人生を逞しく切り開いてもらいたいものです。

そんな子どもの可能性を引き出す「居場所」として、我がピーズカフェも横浜の一角でひっそりと活動中。

子どもの未来を応援したいという方は、ぜひぜひ、共に活動いたしましょう!

ここから先は

0字

この記事は現在販売されていません

いただいたサポートは、地域の「居場所」へ寄付させていただきます!