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人の受験を何だと思っているんだ

 先日アップした「点字楽譜のトラウマ」の記事でも書いたが、地元の盲学校の高等部普通科を卒業した後、音楽科がある京都の盲学校に進んだ。
 幼稚部から15年間在籍した母校を卒業するという感慨に浸っている間もなく、卒業式の翌日には、受験のため京都に向かっていた。
 その時は母に同行してもらったのだが、そこになぜか姉までくっついてきた。どうやら私が試験を受けている間母と京都観光をするのだと言う。この時点で人の受験を何だと思っているんだという感じである。

 音楽科の受験はもうとにかく緊張したことしか覚えていない。今のところの人生で最も緊張した時ベスト3に入るぐらいの緊張だったと思う。
 受験前日の夜から食欲が無く、移動中の新幹線の中でメロンパンを1個食べるだけでやっとだった。
 ホテルに着いてすぐ、母と姉はラウンジでの夕食バイキングに行くと言うが、私はそれには行かず、部屋に備え付けられた有線でラジオを聞きながらずっと寝ていた。

 音楽科の受験は、午前は小論文、午後はピアノと声楽の実技試験と面接というスケジュールだった。
 小論文は学生時代にがんばったことをテーマに、確か中3の夏休みに水泳の練習を一生懸命がんばったというようなことを書いたような気がする。
 午後の実技試験は、ピアノも声楽もこれまでの練習の成果がとりあえず発揮されたんじゃないだろうかと思う。ピアノを弾いていて途中で失敗したとか、歌っている最中に歌詞を忘れたとか、そのような記憶がないので。
 そんな感じで受験の詳細な様子などほとんど覚えていないぐらい、音楽科の受験はとても緊張した。

 受験が終わったのは3時過ぎだっただろうか。
 緊張と慣れない長旅の疲れで心身共にへとへとだった。一刻も早く帰って寝たかった。
 ところが姉が「油取り紙が欲しい」だの「お土産を買いたい」だの言うのだ。
 「そんなの私が受かったら入学式の前にまた皆で京都に来た時に買えばいいじゃん」
 そう反論したけれど、
 「あんたが受からなかったら今日しか来られないじゃん。てかホテル取ったの私なんだけど」
 と言われてしまった。たぶんこの時の私は、もう言い返す気力が無いぐらい疲れ切っていたと思う。
 結局その後姉に振り回されて京都の街をさんざん歩き回された。自宅に着いたのは夜の10時過ぎぐらいだったと思う。
 私は家族を観光に連れていくために京都の学校を受験したわけじゃないのに…。
 本当に人の受験を何だと思っているんだと、今でも腹立たしく思う。

 それから2週間ほどたって、合格通知を受け取った。
 しかし合格の喜びよりも、地元や友人たちと離れなければならないことへの不安や寂しさの方が大きかったかもしれない。

 その後の京都での3年間は、いろんな意味で人生のターニングポイントになったと言っても過言ではないぐらいものすごく重要な期間だった。ただ残念ながら、そこで学んだ音楽のスキルはほとんど役に立ってはいないが。
 まあそれでも受験のことも含めて、今ではとても良い思い出である。

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