『手の日』に伝える私のこと、そして、私の使命
本日8月10日は『手(ハンド)の日』です。
手のケアをし、手の大切さを伝えている私について、ここで改めて記しておきたいと思います。
学生時代
昔から「指が細くて長いから、ピアノやったら?」と言われ、周りの勧めで小学1年からエレクトーンを習い、約6年続けても上達せず、断念。(おそらく音感は全くないタイプです💦)
その後は、手先の器用さを発揮することもなく、普通の学生時代を過ごしました。小中高と過ごし、医療福祉の専門学校へ進みました。医療福祉についてはもちろん、医療事務や簿記を学びました。
社会人時代と手
金融系の事務職として就職。その当時の新入社員研修で同期の皆から、「手が綺麗、手のモデルやれるよ!」と言われ、改めて手を意識するようになりました。
そして、ビジネスマンだった父も自分の手を大切にしていました。
「営業マンは手が命なんだよ。名刺交換や商談の際にはいつも見られているから、印象に残る。」と、父自身、いつもクリームを塗ったり、爪を整えたりしていたのです。父のおかげで手の印象は大きいと気づき、所作には気をくばるようになりました。
金融機関での勤務
結婚、出産後は地元の金融機関に勤め、窓口業務に従事しました。金融知識の他に、自らホスピタリティを勉強し、所作を含め気持ちの良い接客を目指しました。
介護の勉強を開始
若年性認知症を発症し、介護サービスを利用し始めた父の為、知識を身に付けたい一心で、銀行勤務の傍ら、土曜日は介護資格取得に向けて専門学校へ通いました。
そこでも実務において、手のもつ大切さを学びました。触れ方、力の入れ方、気持ちが伝わる介護を学び、父への接し方にもだいぶ変化が出ました。
しかし、家族の負担もあり、父は認知症対応の精神科病院へ勧められるがまま、本人の意思を確認する間もなく、入院。そのまま2年弱で息を引き取ることとなります。
これが一番の私の後悔です。
金融業界か介護業界か
父の死後も銀行勤務の日々。頑張りの甲斐あってか、本部研修課へ異動となり、窓口OJT業務を担当することとなりました。新規パートタイマーへの全体研修はもちろん、各支店へ出張し実務の指導をして参りました。
大変やりがいはあるのですが、後悔の気持ちが消えません。
「もっと早く介護の実務経験を積んで、父に寄り添うべきだった。」
学校で現場実習した訪問介護の衝撃が忘れられなかったのです。住む慣れた家で、その人らしい生活をしている利用者の方々。
なぜ、父にそのような暮らしをさせることができなかったのか。父の人生に父の意思はあったのか。
想いが止まず、私は介護業界へ転職しました。
訪問介護で生きたホスピタリティ精神
訪問介護事業所へ入社し、正社員としてヘルパー業務を行いました。朝から晩まで利用者宅へ車で移動し、身体介護や生活援助を行う仕事です。
身体介護は排泄介助や入浴介助など、生活援助は調理や掃除などです。
相手の居住スペースで相手を尊重しケアする。非常にデリケートな空間で、1対1で仕事をする、ということは想像以上に難しいのです。
そこで生きたのが銀行で習得したホスピタリティ精神でした。丁寧に向き合い、相手の立場に立って接することができ、利用者との信頼関係を築けたのです。
特に手で触れること、手から思いを伝えることに意識を向けていました。
介護福祉士試験合格
3年の実務経験をえて、実務者研修の末、介護福祉士国家試験に合格。
その後は、訪問介護のサービス提供責任者として、利用者の新規契約~サービスの計画、ヘルパーへの現地指導、研修などに携わり、より利用者と向き合う仕事をしてきました。
感じてきたのは介護保険では賄いきれない時間やぬくもり、会話が求められている。そんな時間こそが必要であるということでした。より手というものの大切さを感じるようになっていたのが、現在の仕事への決め手です。
自宅開業
ハンドケアセラピストの活用をし、施設ボランティアで学びを得ました。
いつか介護保険外のサービスで高齢者の心のケアまで携わりたいという想いが、現在の手を生かした見守りの仕事へと結びつきました。
たかが手、されど手
手を日頃から動かしている人は、老後も自立している人が多い。
手を日頃から家族と触れ合っている人は、老後も心穏やかである。
これは私が経験してきて一番感じること。
手を動かし、手を癒し、手から生活を見守る
それが私の経験ゆえの使命なのです。
それが亡き父に一番叶えたかったことなのです。
だから、私は多くの人へ『手の大切さ、温かさ』を伝えます。私の人生には、手と縁があるのです。
手から暮らしを見守るセラピスト 三浦かおり が、『手の日』に伝えたかった自分自身のことです。
最期までお読み頂き、本当にありがとうございました。
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