【コーチング】言語化と視覚化と分かるという感覚

ハンドボールのプレーを説明するのに、

①言葉で伝える
②作戦盤を使う
③映像資料を見せる
④データを示す
⑤手本を見せる

といった手持ちカードがあります。

僕自身は①が最も好みで、⑤は得意ではありません。(イメージだけなら世界選手権を戦えるのですが、実際には足がもつれて肩が痛くて…泣)

「分かりやすい表現」や「印象に残る言い回し」を用いることが本当に選手にとってプラスなのかは難しいところです。

映像資料を配信したりYouTubeを観せることもできますが、与えられることに慣れてしまうと、情報の価値が相対的に下がってしまいます。


あえて教えない、という中島敦「名人伝」の境地に達することも大切かもしれません。

選手が自分で考えるようになるための環境として、“分かりにくさ”が必要なこともある。

上手くなるために何か要求されているんだけれど、どうしたらいいのか分かるようで上手く掴めない。そんな瞬間にグッと集中して考えることができる選手が伸びるのだろうなと思います。

合理的で費用対効果が高い手段が、長期的に見て成長を最大化するかどうかは分かりません。教育の成果を追跡もできないし、データ化もできない、対照実験もできない。(日本の教育はエビデンスがないことで世界的に有名らしい。)


選手より子どもより、一足先に少しだけたくさんの経験を積んでいる大人は、ついつい先回りして答えを与えてしまいますが、案外それが成長の機会を奪ってしまっているのかもしれません。

スポーツに限らず、大人の目で中高生を見ているともっとこういう生き方をすればいいのにってことは山ほどあります。

勉強においては、緩やかな枠組みの中で強制力を働かせることも必要です。啐啄同時のタイミングを待っていては間に合わなくなってしまうこともあります。

どこまで信じて待つことができるか。


子曰はく、後生畏るべし。焉くんぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ。(『論語』子罕第九)

若者は可能性に満ちています。

コイツはダメだ、なんて言わずに成長を信じたいものです。

春秋戦国時代は40歳、50歳になっても無名のまま埋もれていたらダメらしいですが、現代人の場合は何歳まで待ってもらえますか??


安井直人

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