見出し画像

帰る場所としての人間関係

高校時代、野球部に所属していた。
いわゆる女子マネというものである。
女子マネというとキラキラした青春のイメージがあるが、実際は泥臭い仕事ばかりだった。

ジャグを用意し、ボールやバットを拭き、練習環境を整備する。
ノック時の監督へのボール出しや、マシンへのボール入れ、ティーバッティングの補助。
時には自主練に付き合い、自らノックを打つことも。
試合時に制服でベンチに入りスコアラーを務めれば「マネさん」ぽいが、実際は部員不足によりスタンドで太鼓を叩くこともあった。
ボール入れをすればピッチャーライナーがネットを突き破り太ももに直撃するし、練習後に帰宅してシャンプーをすれば泡が茶色い。

部員11名、マネージャー2名の13名の同期たち。
マネ室はなく、汚い部室で部員と共に過ごした。
泥臭いし汗臭いし下ネタは飛び交うしマネージャーに配慮はないし散々な環境だったけど、毎日ものすごく楽しかった記憶がある。

1年の4月から3年の夏の大会が終わるまでの2年2ヶ月、今思うとキラッキラした時間だった。
毎日顔を合わせて、本気で勝利を目指して汗を流した仲間たち。
真面目な話もくだらない話もたくさんした。本当に本当に、たくさんした。
決して強いチームだったわけではないのだけど、紫のユニフォームを身に纏う彼らは私たちマネージャーの誇りだった。

夏の大会は初戦で春の県大会ベスト8に入る強豪にあたり、惜敗。
涙ながらに引退して受験勉強に励み、翌年の4月には盛岡から京都までバラバラの進路を歩んだ。

あれから10年。
2年2ヶ月を共に過ごした仲間たちは、10年間まったくバラバラの道を歩んで生きてきた。
ほとんどのメンバーが地元を離れたため、お正月やお盆であってもなかなかみんなで集まる機会はなかった。

ところが先日、部員の1人が部内で初めての結婚式を挙げた。
しかも相手は、同じ高校のサッカー部の美人マネージャー。
高校時代には関わりを持っている様子はなく、大人になって再会しスピード結婚だったため、高校界隈に激震が走った。

その結婚式場で、久しぶりに当時の野球部が揃った。
(厳密にいうと1人欠席だったのだが、それでもここまで揃ったのは成人式以来だった)

正直に言うと久しぶりすぎて、何を話せばいいのか緊張していた気持ちもあった。
当然だがみんな大人の男性になり、それぞれ立派に仕事をしている。
何年も会っていないのに、どんな話題で盛り上がればいいのかと。

結論から言うと、心配は杞憂に終わった。
それぞれの近況報告はもちろんのことだが、一人一人の一挙一動が会話の糸口になる。
真面目な話もくだらない話も、次から次へと止まらない。
信じられないことだが、10年のブランクをまったく感じられない人間関係が、そこにあったのだ。

一緒に過ごした、たった2年の時間。
そこからそれぞれ別の道を歩み、まったく違う人たちと出会い、経験をしてきたはずなのに、その道がまた交わった時、そこにある関係性は10年前とまったく変わらないものだった。

それってなんか、本当にすごいと思う。
あの頃は楽しかった、本当にキラキラしていた。
そこから10年経ち、ひさしぶりの再会であっても変わらない関係を持てたこと。
それはあの2年間を全て肯定してくれた気がした。

私たちはあの頃、野球の勝敗以上に、かけがえのないものを作り上げたんだと。
それは一生壊れないもので、みんなが集まる限りそこに存在するもの。
私たち全員の、帰る場所であるということ。

結婚式に参加できなかった一名とは、後日個人的に会った。
もともと真面目で勉強熱心な彼は、大学と社会を経験し、より一層賢く、思慮深い人間になっていた。
それでも彼の本質は変わらず、2時間という時間をたくさん話して過ごした。
着飾ることなく、心のうちを話せること。
反応を恐れることなく、自分の意見を堂々と伝えられること。
そんな関係性を作れたのは、やっぱりあの2年を共に過ごしたからだろう。

高校生特有の悩みはいっぱいあった。
自分の立ち位置を迷って、涙した日もある。
最後の大会が終わったあとも、自分の在り方は間違っていなかったのか何度も考え、答えは出なかった。

だけど、今ならわかる。
ぜーんぶ、正解だったよと。

ドキドキしながらグラウンドに初めて足を踏み入れたあの日から、2年間積み上げてくれたもの。
あの頃の私が迷いながら積み上げてくれたものが、今の私の宝物になっている。

ありがとう。
わたしに帰る場所を作ってくれて。
ずっと大事に思える場所を作ってくれて、本当にありがとう。

汗と泥にまみれたあの頃の仲間たちの笑顔が、やけに鮮明に思い出される。

この記事が参加している募集

夏の思い出

高校野球を語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?