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師走.

月始まりというのはどうにも文章が書きたくなる。書けと言われても書きたくない日は書かないのに、忙しくてそれどころでない日でも書きたくなってしまったら書かずには眠れない。たとえその中身がどんなくだらないことであっても、そういう次第のようだ。

師走だ。気合を入れて進まなければいけない一か月がやってきた。今年の12月は、類を見ないくらい仕事でびっしりと埋まっている。しかし今日は友人と出かけていた。熊本から三重まで私に会うために、泊りがけできてくれたのだ。

私は「友達と予定を立てて遊ぶ」ということがすこぶる苦手である。これは小学生からのことで、滅多に自分から友達を誘って遊ぶことができない。大好きな人や会いたい人、話したい人は沢山いるのに、移動や計画や気遣いなどの労力を先に考えてしまい、どうしても億劫になるので自分から会おうと言い出せない。遊ぼう会おうと言われると断らないので、余計に悪い。めげずに会おうと言い出してくれる友達には、本当に感謝してできるだけ都合をつけようと思う。というわけで友達とふたり、遊ぶという久しぶりの予定がやってきたのだ。

名古屋や三重は一年住む(その前も一番出入りしていた)私にとっては今やホームだが、観光らしいことをしたことがほぼ、ない。特に名古屋は用事ついででもないかぎり遊びで出かけたことがない。

何度も車で通ったことのある道、慣れ親しんだ地名の中をはじめてみるものだらけで新鮮な気持ちで歩く。一度も使ったことのない地下鉄の線に乗り、少し足をのばして名古屋のはずれにある花屋で花を買った。

どんなに重たい腰でもあげてみればもっと動きたい衝動に駆られる。居心地のいい場所になったら次の場所へいきたい、なんて言っておきながら自分の今の街周辺のことさえよく知らないことを思いだした。もっと動いていなければならない、からだをつかっていなければならない、もっともっと。そうでなくて家にいてしまっては、やっぱり凝り固まっている。

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さあ、そんなことよりさむい。

30日のきらめくイルミネーションとクリスマスソングと紅葉のカオスなコラボを見ながら寒さを一度は肯定したもののやはり許せない、寒すぎる。熊本から来たのに私より平気そうな友人にカイロをもらうまで不甲斐ない次第である。でも12月の寒さは特別だった。

たった一日日付が進むと寒さが肯定できる。イルミネーションは電飾からときめきへと変わる。クリームソーダは寒くても美味しくなり暖かい部屋から鋭い寒さの外へ出る瞬間のことが好きになる。そういうものだ。

これから毎日仕事でこの大都会の街を通るだろう。重たくしんどい未来ばかりを想像した11月は過ぎ去った。初っ端から引きずり出して貰えたおかげで、今の足取りは軽く、次へ次へとグングン進めそうだ。

沢山の撮影が待っている。どんなシャッターを切り、何に苦しみ何を見、何を思うだろうか。緊張感のある冬が、始まろうとしている。



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