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学ぶこと/身体で確かめること


私のリズムはどこ?」はWebサイトで映像や言葉をアーカイブしていく企画なのだけど、11月に入り、そろそろ「身体を動かすこと」と「移動」が恋しくなってきた。

10月末で地域おこし協力隊の仕事が終わったので余裕が出てきたということもあるが、身体を介して学んでゆくこと、人と会ってコミュニケーションをとっていくことが、結局はダンサーにとって必要不可欠なものだと感じる。

そんなことは分かっている。今はコロナの影響で容易には活動が出来ないからWeb上でのアーカイブという手法を取っているんじゃないか。

そう、「分かって」いても、やはり身体を動かしたいという欲求が募る。単にジョギングをするとか、そういう事ではなく、学ぶことと身体を使うことを直結させたい、「観る」ということを身体で確かめたいという欲求が募るのだ。

そんな中、夏に受講した振付家ワークショップで一緒だった堀内恵さんから受講メンバーへ向けて、来年3月に京都のギャラリーで創作プロセスを展示しませんか?というお誘いを頂いた。

また、同じタイミングで、夫が以前から少しずつ習い始めている韓国舞踊の個人レッスンに同行することになった。それも、京都だ。

この二つのタイミングが重なったことで、私は京都へ月1回通う、という創作プロセスへ進むことになった。Webサイトの構築から、ダンスのプロセスについての展示へ。

また、「私」ではない、韓国のリズムを学ぶ旅も始まった。(これは容易ではない。長年かけての挑戦かもしれない。)もちろん、コロナ第3波が大きく影響を及ぼす中、かなり気をつけなければいけないのは承知しているが・・・不思議な縁は大事にしたい。

そう、ところでこの不思議な縁によって、私はオンライン上でしか接したことのない堀内さんとリアルに会うことになった。現在、彼女は記憶と現象
−感情と光の相互性/光のサンプリング−
という個展をおこなっているのだが、打ち合わせの前に、個展を見せてもらうことになった。

リアルに会った堀内さんは予想以上に背が高く、画面で聞く声と顔の印象とは違っていた。思えば、これは俗にいうオフ会?なのだろうか。リアルに会ったことのない人と画面越しの対話やメールをした後に実際に会う、という経験が極端に少ない私は、最初どういう風に居たらよいか分からなかった。

でも彼女が、「せっかくなのでパフォーマンスを観ませんか?」と言ってくれて、シャツ姿になり、映像の投影と共に目の前で上演が始まると、そこから私たちの対話が始まった気がした。

実は事前にインスタライブでも、このパフォーマンスの様子を覗き見たのだが、当たり前だけど全然違うもののように思えた。

この作品の根幹にあるー光のサンプリングーを実際に体験すると、色と感情は驚くほど密接な関係にあり、その感情から引き起こされる記憶から私自身の物語を見ることが出来る。

椅子に腰かける女が俯くと赤い光がじわじわ滲む。胸を掻きむしられるような感覚と同時に20代の頃の記憶がよぎる。

また、繊細に計算された映像とパフォーマンスの連鎖から、過去の記憶が現在の行動・生活のルーティーンを引き起こしていることにも気づかされる。

そういえば、赤や青の光から突如、地明かりに戻った時に感じた、感情が引いていく感じ、物足りなさ、現実感を味わったとき、

「知覚と感性の心理学」という本の中に出てくる

そもそも、色のついているものなどない。
色は眼や脳で作り出されるということを知っていただろうか。

という言葉を思い出したのと同時に、色の恒常性は発達初期の知覚経験と関わっている文献が頭をよぎった。

誰もがそこで同じ色を見て、同じような感情が湧くなんてことは、実はないのではないか?これは、全ての観劇に当てはまることなのではないか?

彼女のパフォーマンスで、久しぶりに生の刺激を受けることが出来た。そして、インスタライブは全く別物として認識した方が良いということも肝に銘じようと思う。

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