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一見ささいなことだけど、私たちがジェンダーの抑圧から少しずつ自由になるために




 うなじが全部見えるくらいまで、髪を切った。
 髪を切っただけで、私の服装のバリエーションやコーディネートのスタンスは、現時点では特に変わらないんだけど、その様子を見た年上の同僚が、

「別に、ショートカットでも、スカート履いていいんだもんねえ」

 と言うので、私は大変、面食らってしまった。
 え? ショートカットの女性はスカート禁止なんて、私、聞いたことないんですけど。もしかしてそんな時代があったのか? スカートを履くにはロングヘアっていう不文律が? てか、ショートカットの女子学生、それって大抵の場合、制服着られなくない? え? どうやって生きてきたの?
 私の心の中にいるサンドウィッチマン富澤たけしが、

「ちょっと何言ってるかわかんない」

 って、二週間くらいずっと真顔でこのことにツッコミを入れている。
 いやマジでちょっと何言ってるかわかんない。



 私は、ショートパンツもフルレングスパンツもミニスカートもロングスカートも、全部好きなので、自分の髪型がいつ何時どうだろうと、着たいものを着る。さすがに職場にショーパンやミニスカで現れるわけにはいかないので、働いているときはそれなりの丈のものを選んではいるけど。
 ヘアドネーションのために胸下まで髪を伸ばしていたときだって、マニッシュな格好をしていたし、額も耳も首筋も全部露わにしちゃったベリーショートのときだって、フェミニンな洋服を着て街を歩いていた。
 溺れるくらい洋服が好きな私のモットーは、私の気分に合わせてそのとき着たいものを好きなように着るなので、髪型くらいではどうにもならない。

 けど。

 この人は、もしかしたら、無意識にそういう抑圧を受けてきたのかなあ。
 この髪型ならこういう服装にしなくちゃ、って、不自由なファッションで生きてきた(生きざるを得なかった)のかなあ。
 自分の言動の息苦しさや違和感に、全く、気づいていないみたいだけど。
 と、私は唸るように考える。



 私の母は昔から「あなたはショートカットが一番似合うのよ」と言って褒めてくれていて――この言葉の真意は、母が全くヘアアレンジ等ができないので私にせがまれないようにするためだった、というのはつい最近聞いたけども(要するに親の都合による言葉である)――、でも、母の好みの洋服は、フリルとかリボンとか、花柄とか、ピンクとか、形は大体ワンピースとか、一般的には「フェミニン」と括られる部類のものだったので、物心つく前の幼少期から、私はショートカットでスカートだった。

 思春期はそれが嫌で髪を伸ばしていたけど、大学生になって、アルバイトで稼いだお金を片っ端から洋服につぎ込んで「いろいろな私」になってみた結果、どんな髪型でも、どんな化粧でも、着たいときに着たいものを着る、それ一択! という境地にたどり着いたので、今の私のファッションには、ほとんど境界線がない。メンズも買うし(小柄で平らで薄っぺらい体型なので)キッズも買うし、世代が上でも下でも、性別が男でも女でも、「この洋服、絶対着たい!」って直感したら、迷わずに着る。
 大事なことだから繰り返すけど、要点は、私にその洋服が似合うとか似合わないとかではないのだ。私が着たいか、着たくないか、である。

 
私は、ショートカットでも、スカートが履きたい。

 私は、洋服を一番「似合わなくさせる」のは、似合わないかもしれない、という気持ちだと思う。なので、この服を着た私は絶対スーパー最高にかわいい、と私はいつも心のどこかで褒めている。私が褒めなくて誰が褒めるんだ! 私のセンス最高! 素敵! さすが私!! 似合ってる!!!



 正直、公共性やTPOを激しく阻害する格好でなければ、ファッションは自由でいいんじゃないのかなあと私は思う。#KuTooなんてまさにそれ。私は自分の気持ちのオンオフスイッチの切り替えのために職場でパンプスを履くけど、かといって、職場でのパンプスの必要性は感じない。実際、私の職場の九割の女性はヒールのない靴を履いている。スニーカーも全く問題ない。パンプスに拘る業界は、一体何をそんなに抑圧しておきたいのだろう。

 少し話がずれたけど。


 話がずれたついでに私の不愉快だった経験を書くと、三年前に、ヘアドネーションのために伸ばしていた髪を三十センチ近くばっさり切ったとき、男性の上司に「随分印象が変わったよね」と、すごくネガティブなニュアンスで言われたことがある。いやおまえのために髪を伸ばしていたわけじゃないしな? と素で思ったし、あまりに腹が立ったので、以来、私は職場にメイクすらしていくのをやめた(笑)。眉だけ描いてあとはマスク。幸い、接客はほとんどしない事務仕事なので支障がないし、呼びつけられて担当外の仕事をやらされる率が格段に減ったうえ(私は非正規職員なので担当外業務は本来やる必要がないのである)、見た目で仕事をさせられていたあの言いようのない腹立たしさからも解放されたのは、ある意味感謝だったかもしれない。

 noteでも何度か書いてきたけど、私の担当美容師さんは私のヘアスタイルを作る天才なので、三十センチ切ったときの私の髪型はもちろんかわいかったのだ。女性の職員さんからはめちゃ好評だったし。女性のショートカットにネガティブな印象を抱くのはあなたの感性が貧しいからだし、否定的な言葉で相手を抑圧するのはあなたの品性の問題だし、私には関係がありませんけど、と今でも思っている。
(ちなみに、十年来の私の担当氏は男性スタイリストなので、マジで、件の男性上司にはあなたの感性が貧しいだけですよって気持ちしかない。)



 冒頭に戻ると、私に「ショートカットでもスカートを履いていいんだもんね」と言った同僚は、きっと、見た目でジェンダーを否定される言葉を浴びて生きてきたんだろう、と思う。本人がそうと自覚しているかはわからないけど、時々、言葉の端々にそういうものを私は感じる。
 心の中のサンドウィッチマン富澤たけしの口を塞ぎながら「大丈夫、似合いますよ、好きに着ていいんですよ」と私は言った。

 みんながみんな、私のように、他者から向けられる抑圧をものともせずに殴りつけて生きていけるわけではないことは、知っている。というか、私も無意識に相手を否定することを言っているに違いないし、私自身も全ての抑圧からフリーダムなわけではないから、幸いにも気づくことのできたところから、少しずつ、解放したりされたりできたらいいな、と思う。


 一週間後、胸元まであった長かった髪をバッサリ切って、首筋を撫ぜながら「おはよう」と照れくさそうに笑った同僚を見て、やっぱりお洒落はハッピーで楽しいのが一番! と実感した。おしまい。





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