私をみちびくあなたの歌にありがとう
「全部楽しかった。つらいこともたくさんあった気がするけど、それも含めて、ただただ全部が楽しかった」
推しちゃんの一人がそう言っているのを見た。思い出深いライブの一年ぶりのオーディオコメンタリー、のアーカイブ。私もわかるよ、と思った。
散らかした論文に埋もれて大変だったことも、実力が全然追いつかなくて悔しくて泣いていたことも、足繁くあちこちの美術館へ通って貧乏だったことも、地獄の耐久レースか!と思った論文審査も、だけど、全部が楽しかった。できないことすらも全てが楽しかったから、それは私の夢だった。
間違いなく、夢だった。
今でもときどき、心の中の私が、私が夢を叶えられなかったのは私の努力が足りなかったからだ、と責めてくるときがある。ほんの一握りの優秀な人間になれるだけの努力と気持ちと運が足りなかったから、おまえは今のおまえなのだとあざ笑う。
正直、「今のあなたには過去のことではなく今の環境にも怒りや不満があるのではないかなと感じました」と、誰かもわからない人からマシュマロをもらったとき、何かしらに怒りや不満を持つ「今の私」がいるのは単なる私の努力不足だと言いたいんだろうなと、なんとなくそんなことを考えた。
言葉の真実なんて知らないし、興味もないけど。
目の前で、全力の笑顔を見せてくれている人だって、私の知らないところで傷ついたり、泣いたりしているんだろうな。やさしい人のやさしさは、何もないところから生まれたものではなくて、この人が歩んできた道なりで、少しずつ少しずつ、大切に胸のうちに抱いてきたものなんだろうな。
「いろんなことがあったけど、それすらも全部、楽しかった」
推しちゃんの言葉がいとおしい。いとしいな。すきだな。大好きだな。
大丈夫、あなたも間違ってなんかないよって、言われている気がして、私は映像を見ながら勝手に泣いた。だって私も楽しかった。何度だめだって言われても、報われなくても、身体すらついていかなくなってしまっても、私は美術が楽しかったし、楽しいし、やっぱり今でも、好きだと思う。
いつかはきっと、形にしたいなあ。
大それたことはできなくていい。人よりもずっと小さな一歩でもいい。
私が好きなもの、私が楽しいこと、私も、誰かを笑顔にできたなら。
いいなあ。
やっぱり今日も、あなたたちの歌に救われて、私はこの道を歩いている。
笑顔でいてくれたら嬉しいなって言ってくれても私、結局いつも、迫り上がる感情に負けて泣いちゃうけど、笑顔と言葉はいつも嬉しいよ。ねえ、
歌ってくれて、ありがとう。ありがとう、明日も私のみちしるべ。
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