マガジンのカバー画像

ソルティ・ドッグ

87
塩日記2020
運営しているクリエイター

2020年2月の記事一覧

タイムカプセルとチョコレート

タイムカプセルに閉じ込めた夏が、ほろ苦く溶け出している。 日焼けをしないように必死だった、ひと夏。 だけどいつだって私の皮膚はひりついて、じんわりと熱を帯びていた。 星明かりでは焼けないのをいいことに、夜のあいだだけ半袖からさらけ出した両腕に、真夏の残り香がまとわりつく。蝉の声はもう遠く、なにとも知れない虫の羽音がやかましい。重たい緑が繁茂して、地面まで枝垂れて、視界を覆い尽くしていた。落ちた花や木の実をいくつも踏んだ。誰のものだろう、どこかでサンダルがじゃりじゃりと音を

信頼とカフェラテのiPod

 私は私のiPodに全幅の信頼を置いている。  私はいまでもサブスクではなく好きな曲を単体でダウンロードしている。プレイリストは敢えてざっくばらんに詰め込んで、普段はそれをシャッフルで流す。再生ボタンを押してイントロが聞こえたその瞬間、AI搭載してたかな? とか思う。まさか中に小さいおじさんが住んでいてディスクジョッキーしてるんだろうか、と考えないこともない。その日の私に必要な音楽を、私が聴くべき歌詞を、ドンピで流す私のiPod。  iPodが朝の一曲目に選ぶ曲でその日の

アイニノセ

私の四年間はなんだったんだろう、職場にとって四年間使用してきた私という人材はいったいなんだったんだろうと思って、正規雇用の採用試験を受けた。 応募すべきか、すべきでないか、採用試験の告知が出てから随分悩んだ。人事とはもともと今年度末で契約をやめる話をしていて、それでいいと思っていた。いまの立場でこれ以上できることは、おそらく傍目に見ても、私にはなにもなかった。契約上、仕事を組み替えられることはないし、あとは惰性に朽ちていくだけ。次に行くべきだ。ただ、私にとってこの四年間はい

どこめざしてんのと訊かれても答えられないけど、私は音程を取りたい。

 自宅から目と鼻の先にカラオケがあるので、暇さえあれば歌いに行く。  平日は一時間、休日は満足するまでと決めているのだけど、たまに平日でも、うっかりしていたら三時間経っていたりする。同じ曲で。  我ながらすごい集中力というかなんというか。  歌がうまいのかへたなのかの二択なら、へたである。  いや、ほんとへた。  というのも、一度音を外すと外した音が気になって、そのまま軌道に乗れなくなるからだ。歌だけじゃなくて、習っているチェロもそうなんだけど。 思ったように音は出ないも

きらめきをくれる人とか言葉とか

毎年、地元の水族館が開催しているフォトコンテストに応募している。2019年は見送ろうかと思っていたんだけど、結局、締切間際に撮影へ行って、そのなかから四枚を選んで提出した。本当は五枚まで応募できるところを、ピンと来なくて、とりあえずの四枚。 去年は、そのうちの二枚が入賞して、入選と佳作をもらった。 賞をもらえると水族館内に展示される。応募する都度、何かしら一枚は入賞するけど、未だに一度も展示された写真を見に行ったことはない。今回もやっぱり見に行くことはなく、気がつけば、展

本厄の八方除けに行き、人生に対して心を強く持った話。

 2020(令和2)年2月2日、の「2」尽くしの日に、友人と地元の神社へご祈祷(お祓い)へ行った。厄年の厄除祈願である。  てっきり前厄だと思っていたら、数えなので本厄だった。  しかも大厄。  去年、前厄じみたことあったっけ、ていうか人生のほとんどが厄年みたいなもんだったし厄除けとは? とか、思いながら八方除けを受けた。  神社への参拝は朝早くがよいというけど、ギリギリ午前の十一時。 「七五三ぶりだよ」 「自分でご祈祷の手続きするの初めてだわ」 「小祈祷で六千円……」

グリーフケア

 土曜日に、父方の祖母が亡くなった。数えで九十六歳の大往生である。 「人の生き死に」というセンシティブなプライベートを、コンテンツとしてある種消費することについて、どうあるべきなのかとも思うのだが、言語化すること・表現すること、またそれを他者に読んでもらうことは、私にとって私のための「グリーフケア」なのでできれば許されたいと願っている。  大正に生まれて、戦中に女学生として生き、戦後になってからは教員として働いてきた祖母は、正しく厳しい人だったので、叱られるかもしれない。

時間をかけて表現を愛する

「またそれ読んでんの?」 「いつまでその音楽聴いてるの」  そんなふうに私はよく呆れられる。本当の本当にのめり込むと、言葉や物語に運命を感じてしまうと、いつだって、永遠にそばにいられるような気がする。  好きになるととことん一途で、ほとんどよそ見をしなくなるのは昔からだ。毎日同じ作家の本ばかりを読んでいる。毎日同じアーティストの曲ばかりを聴いている。飽きないのかと訊かれるけど、表現の骨の髄まで「私のもの」にしないと気が済まないから、飽きるなんてことはありえない。  やが