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グリーフケア


 土曜日に、父方の祖母が亡くなった。数えで九十六歳の大往生である。

「人の生き死に」というセンシティブなプライベートを、コンテンツとしてある種消費することについて、どうあるべきなのかとも思うのだが、言語化すること・表現すること、またそれを他者に読んでもらうことは、私にとって私のための「グリーフケア」なのでできれば許されたいと願っている。
 大正に生まれて、戦中に女学生として生き、戦後になってからは教員として働いてきた祖母は、正しく厳しい人だったので、叱られるかもしれない。

 しかし大正、昭和、平成、令和と時代をまたいできた人生ってすごいな。
 三年前に亡くなった母方の祖父は令和こそ迎えなかったけれど、それでも九十三歳であったわけだし、みんな長生きで尊敬する。私そんなに生きられる自信がない。体力的にも、精神的にも。すごい。

 祖母は、私がこのnoteを書いてから三週間も生き抜いたし、土曜日の朝という空気を読んだ時間に亡くなって、しかも明けの週にはたまたま祝日があったというので、親戚一同「すごいよね」と口をそろえていた。


 ところで、結局、私はやはり一滴も泣かなかった。母が何度も棺の中の祖母の顔を見に行ったり、弟が真っ白い顔で通夜に駆けつけたりしているのを横目に、平然と受付係を務め、昔っから法話が下手な住職の言葉を右から左へと聞き流しながら、悲しいことを数えても仕方がない、とぼんやり思っていた。夫と娘には先立たれたけど、息子ふたりとその嫁と、孫はみんなすこぶる元気で、ひ孫はいまこの瞬間も元気に走り回っている。妹も存命で、高齢で足腰は弱っても、介助者なしで駆けつけられる親戚がまだたくさんいる。悲しいことを数えても仕方がない。

 葬儀の日は、快晴の、いい天気だった。
 十何年前に亡くなった祖父と同じ火葬場で、かつて棚引いていく煙を見上げたことを思い出した。あのときは曇天だったと思う。今回は煙を見なかったので、いつか振り返るときには「空が清くて青かった」と書くはずだ。

 それから、落ち着きのない母の運転が危なっかしくてとても怖かった。
 ドアが閉まってないのに出発するのはやめてほしい。

 お骨拾いには、行かなかった。

 行く人が多すぎたので、控え室で、従姉の子どもと、同じく行かなかった母とカルタに興じていた(従姉は「骨を見るの好き」と宣言して火葬場へ向かっていった)。カルタには負けた。負けたらめっちゃ懐かれた。「おねえちゃん髪の毛赤い! ねずこ? わたしねずこすき!」ときゃっきゃされたけど、ごめんな、おねえちゃん鬼滅の刃わかんないや。この髪の毛は、鬼滅カラーじゃないんだ。幼稚園でもいつも口に竹をくわえていると話してくれたけど、なんのこと? 口に竹???

 葬儀会場も火葬場も明るかった。硝子張りで、採光を意識しているのがよくわかる建築で、私のなかではじめっとした雰囲気がないまま通夜と葬儀が終わって、家に帰ったあとは爆睡した。泣かなかったけど、疲れてはいたと思う。というかこのnoteを書いているいまこの瞬間も疲れている。疲れすぎてリミッターが外れたせいで、翌日は倍速で仕事を片付けてしまった。そしてよけいに疲れて、きもちがしんどいな、と感じ始めている。


 私が泣かないのは強いからじゃない。感情を人とうまく分かち合えないからだ。とくに、隣で嘆き悲しんでいる人がいると「すん」としてしまう。
 これはグリーフケアのなかでも語られていることで、誰かの悲嘆の傍らにいると自分の感情を表出できなくなる人たちがいて、私はそのタイプなのだと思う。恐らくいまは、父母や弟が落ち込んでいるので、自分のなかの「悲しい」に蓋をしてしまっている。

「グリーフケア」をものすごくざっくり言うと、遺された人の感情の変化を理解して寄り添い、支援していくこと、である。

 私は福祉支援の職場にいるので「グリーフケア」は日常的な用語だけど、世間的にはまだ認知度が低いんじゃないかなと思っているので、この機会にぜひ知ってもらえたらうれしい。

グリーフケア:《グリーフ(grief)は、深い悲しみの意》身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。一方的に励ますのではなく、相手に寄り添う姿勢が大切といわれる。悲嘆ケア。(コトバンクより)

 日本グリーフケア協会の「グリーフケアとは」も参考にしてほしい。

 悲しいと自覚できないどころか、「泣く」「怒る」といった過度な身体表現としてあらわれることのない私のような人間でも、やはり他者との死別は大きなストレスになっているはずなので、なんとなくきもちがしんどいなあという、この「いつもと少しちがう感覚」には気をつけている。ので、noteを書くことにした。冒頭でも触れたけど、私にとっては、書くこと以上のグリーフケアはないので。

 加えて、このきもちとともに、グリーフケアの紹介をしたかった。

 今回の、祖母との死別のように「日常のなかで誰かを失くす」ことはもちろん、例えば、何らかの災害による被災者が、誰かを失ったとして、そのときは目の前の状況に必死だったけど「随分あとになってものすごく強烈な悲しみに襲われる」ようなこともある。悲嘆は根深い。そして、見過ごすと傷痕は深く広がる一方で、少しも治癒しないまま化膿したりする。本当に悲しいことは、泣きまくってもまだ足りない、なんて当たり前なのだ。

 また、つらい経験に遭っても元気そうな人、というのは実在する。本人もあっけらかんと「平気」と笑ったりするのだ。だけど、心の奥底はそうではないことは往々にしてあるものだから、こういう悲しみ方とケアがあるんだよ、と、このnoteが「グリーフケア」について覚えてもらえるきっかけになったらいいと思う。

 残念ながら、当事者の立場になってしまったときにも。
 あるいは誰かの悲しみにふれる日があるときにも。

 しくしくと痛んでいる自分の胸を、大切な人の心を、どうか大事にできますように。


 御斎の席で、弟が急に「おれ、一つ後悔していることがあって」と言い出した。祖母のことではなく、三年前に亡くなった祖父のことだった。

 話の内容は、あまりにもたわいのないことだった。十年以上も昔の、私が中学生のころの出来事で、それが祖父の死因につながるはずもないのだけど、弟にとってはどうやらそうではなかったらしい。だからおじいちゃんは死んじゃったんじゃないか、と言う。

 母方の祖父とは二十年以上同居していたので、そりゃあもういろんなことがあったから、いちいち何かを後悔していても仕方がないと私はやっぱり考えてしまうのだけど、声をふるわせて、弟は真剣に後悔していた。そうか、ずっとつらかったんだなと思った。

 悲しみは思いがけないタイミングで甦る。
 誰かとの離別を時間が癒やしてくれる、なんてことは、実はそんなにないんじゃないかなって気がするから、もし、少しでもいつもとちがったら、感情の声に耳を傾けることをなおざりにしないであげたいね。



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