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タイムカプセルとチョコレート


タイムカプセルに閉じ込めた夏が、ほろ苦く溶け出している。


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日焼けをしないように必死だった、ひと夏。
だけどいつだって私の皮膚はひりついて、じんわりと熱を帯びていた。

星明かりでは焼けないのをいいことに、夜のあいだだけ半袖からさらけ出した両腕に、真夏の残り香がまとわりつく。蝉の声はもう遠く、なにとも知れない虫の羽音がやかましい。重たい緑が繁茂して、地面まで枝垂れて、視界を覆い尽くしていた。落ちた花や木の実をいくつも踏んだ。誰のものだろう、どこかでサンダルがじゃりじゃりと音を立てている。

外灯もなく、集落に点在する民家はねむり、一面を黒で塗りたくられた夜の道を、となりにいる気配だけを頼りにして歩いた。せめて指先だけでもかすめればいいのに、ほんの5センチが永遠のように遠い。時折、木立の隙間から降る光で浮かんだ小さな影を、うつむいて見つめる。私たちを囃す、後ろからコソコソと聞こえてくる友人たちの声に、余計に私の唇はからまわった。

これが最後かもしれないとわかっていたのに。
いままでに交わした軽口の一つさえもどこかへ飛んでいって、大事な言葉は、咽喉の奥で怯えてしまった。

やがてみんなそれぞれに、自分のコテージへと帰っていく。なんとなく立ちすくんだ私たちに「ちゃんと送ってきてよ」って、言ったのは、誰だ。暗がりの向こう、ふっと視線がぶつかったその瞬間、笑えたかどうかも定かではない。波打ち際の数メートルはとても短くて、だけど途方もなく長くて、足音が響いて、罅われて、しずかにふるえる水面に墜落する星がまぶしすぎて、私は息ができなかった。

星明かりなら灼けないなんて、間違いだ。

「おやすみなさい」

ようやく絞り出せた声に、少しの間をおいて、おやすみ、とたった一つの返事。

そうじゃない。わかっている。わかっていたけど、言えなかった。向けられた背中を見ないふりして部屋に飛び込んで、どうだった、と訊いてきたルームメイトにはへらりと笑って、バタバタとシャワールームへ駆け込んだ。ボロボロ、ボロボロ、こぼれてくるものを止められないまま、剥き出しになって大泣きした。換気のできないシャワールームで、酸欠になりながらおぼろげに、時間が止まればいいのにと思った。ぜんぶ、ぜんぶ、晩夏の夜のいちばん深いところに埋めてしまって、どこにもいかないでほしかった。


――この夏の思い出にタイムカプセルを埋めるから、2020年になったらまた集まろう。

あの日、誰が言い出したかもわからない約束がある。日々高くなっていく青空に、紫と橙がうつくしく滲みだすころ。閉店後の貸し切りのカフェに集合した私たちは、ばかさわぎをしながら、お菓子のブリキ缶に思い思いのものを詰めた。蓋を閉めるとき、「東京オリンピックの年だから忘れないでしょ」と、年上のお姉さんが笑っていたのをよく覚えている。

けれど、みんなあれきりバラバラになったから、あのタイムカプセルは今年どころかこれからもずっと掘り起こされることなく、ねむりつづけるんだろう。そもそもどこに埋めたんだ。誰か、覚えているんだろうか。

私、なにを入れたんだろう、あのタイムカプセル。手紙かな。手紙だとしたら、なにを書いたんだろう。古民家をDIYしたレトロな内装、やわらかい色調のランプ、和やかな空間。用意してもらった鍋をつつきながら「そういうとこだよ」っていっさい取り分けない姿勢を叱られたのは、記憶にあるんだけど。先輩と友人がおもしろくない漫才をし始めたとか、お店のトイレから水があふれて「よく詰まるんだよね」と店主が面倒臭そうに言っていた、とか。そんなことなら、思い出の端に引っ掛かっている。

でも、あのときの私は、本当にずっと、となりにいた一人のことしか考えていなかったと思う。数日前から、――もっと前から、夏の終わりが見え始めてから、瞬くたびにただ一人のことしか見えていなかった。そんな私が手紙を書いていたとして、どんな言葉だというんだろう。知りたいような、知りたくないような、いや、やっぱり知らなくていい。いいんだ。

だってどうせ、あの夏の夜は戻ってこない。


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2020年2月14日金曜日、くもりのち、昼から晴れ予報。

鼻歌を歌い出しそうなほど朝からご機嫌な後輩が、昼休みの少し前になって、バレンタインデーのお菓子を課内の全員に配りだした。てづくりのガトーショコラ。去年もチョコレートをもらったような気がするなあと思いながら受け取って、デスクの上に置いてしばらく眺めた。ワンポイントに白いレースのリボンがラッピングされている。ジョシリョク。

インフルエンザが猛威を振るうこの時期にてづくりスイーツを贈るその勇気よ、と内心で呟いたところで、斜に構えた自分に呆れた。ありがとうだけ想えばいいのだ。見渡すかぎり、老若男女、嬉しそうだからいいじゃない。

――こういうので、ちゃんと伝えないとだめだよ。

いつか言われた言葉が脳裏をよぎった。ガトーショコラの向こうに、キットカットを思い出した。夏がどんなに暑くても、結局溶かせなかったチョコレート。彼女のてづくりの足許にも及ばない、既製品のチョコレートすらまともに渡せなかった私が、バレンタインデーに言えることなんてない。


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夏が、完全に、水平線のかなたへ消えゆこうとしていた。水やりをしていると、庭先に咲いたコスモスがきもちよさそうに揺れる。

毎日泣き腫らした目がようやく落ち着いたころになって、休憩時間の都度、暇さえあればまわりにお菓子を配っていた私に、先輩が「こういうのでちゃんと伝えないとだめだよ」と言った。こういうの、と指さされたのは、キットカット。大袋にざかざかと入った、メッセージ付きパッケージのそれ。たぶん、先輩に渡したキットカットの包装に、たまたま、あの夜、私が咽喉に詰まらせた言葉が書いてあったんだと思う。

「それができたら苦労しないんですけど、てか、もう遅いし」
「毎日あんなにここで手紙のやりとりしてたのに何でか」

連絡先は知ってるんでしょう、次に会うときは云々と、そのまま先輩にジョシリョクを説かれた。男というのは女よりよほどロマンチストだなと胡乱な目になりながら、ありがたい助言は潔く聞き流す。私に駆け引きができたなら、たったの5センチ先にあった指先に触れて、絡め取って、信じられないくらい少女漫画ばりのシチュエーションで、ちゃんと言いたいことを言えただろう。できなかったからこうなのだ。本当に、もう遅い。

星の明かりで、焦がれたところがひりついた。

また泣き出しそうになるのをこらえて、インカム呼んでます、休憩終わりですよと、一人で話し続けていた先輩を私は追い払った。


そういえば、あの夏のあいだにやりとりしていたその手紙の束はどうしたんだっけ。昼休みにガトーショコラを食べながら考えた。吹き抜けのホール、一面ガラス張りの建物の外で、ふるさとの見慣れた水辺が銀色に乱反射している。まぶしい。けれど、冬の青白い空は、とても目を開けてはいられなかったあのころの空とはほど遠い。手紙――。手紙といっても、ただのメモなんだけど。女子高生の授業中のメモ交換みたいなものだった。はじまりは業務の引き継ぎで、そのうちにふざけたやりとりになっていき、気づいたらお互いに「ラブレター」と呼ぶようになっていた。毎日、そんなふうだったくせに。そんなふうに茶化したから。

大事なときには、結局湯煎に失敗した、チョコレートみたいな言葉たち。

後輩のガトーショコラはほろ苦かった。誰の口にも合うようにだと思う。
夏が去っていったあとの私のキットカットだって、休憩時間のおやつとして買ったもので、誰でも食べられることが前提だった。そんなものでちゃんと伝えろって言われてもね。先輩には言い返せなかった言葉が、いまさら、ゆるやかなため息になってこぼれ落ちる。――それとも、誰にでも渡せるくらいの気軽なチョコレートでも、喜んでくれたんだろうか。顔も、声も、遠くかすんでしまういまは、反応一つ、私には想像できなかった。

私たちの沈黙を縫ってゆく、あの星空のさざなみも、とうに耳には打ち寄せない。


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こんなことを思い出すのも、2020年のせいだ。果たされない約束のタイムカプセル。夏空の下で溶かせなかったチョコレート。ぜんぶ、2020年のせいだ。だって、この年に向けて、私たちはあの夏を詰め込んだんだから。

みんな成人した「大人」だったのに、都会から逃げて、社会のレールを外れて歩いて、まるで忘れものみたいな青春を謳歌した私たち。それぞれになにかを願いながら、思い出をお菓子の缶箱にしまい込んだ。さわいで、笑いあって、夜更けにタイムカプセルを埋めながら――きっと、誰もこの場所へ帰ってこないことは、わかっていたと思う。「2020年のオリンピックイヤーに集まって開けよう」だなんて、本当は、誰が信じていたんだろう。

訊いてみたいような気もするけれど。

だけど、私はあの夏の誰にも連絡を取らないし、2020年の約束のことは、もちろん、教えてもあげない。噎せる晩夏の匂い、深く塗りたくられた夜色と同じくらい、ただ募らせた想いが人一倍重かった私だけが、記憶のなかでひっそりと菓子缶の蓋を開けるのだ。


そうして、溶かそう。
一つ残らず。
あのきらめきを思い出すのは、きっとこの夏を最後にして。




見出し画像:ありんこさん
文章内画像:けい

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