5話 ライバルの存在
高校入学を翌月に控えた3月、中学生としては最後となる記録会が行われていた。
三段跳に出場したシンジが13mを大きく越えて話題になった。
聞くところによると全国の中学生で1位だか2位らしく、とんでもないことになったなと思った。
シンジは全国に名を轟かせる陸上強豪校に進学を予定していた。
僕は公立の進学校に入学が決まっていた。
進学した理由はカリキュラムが興味深かったことや学力もあるが、何より陸上部が強く、ここなら自分ももっと強くなれると思ったからだった。
本当に高校選びは正解だった。
陸上のスキルだけでなく、書ききれないほど人として大切なことをたくさん教わった。
公立高校で推薦もなかったが、だからこそ泥臭く這い上がろうとするチームの雰囲気が自分にはとても合っていた。
高校のデビュー戦は4月13日の春季大会だった。
種目は走高跳と、なんと三段跳だった。
三段跳とはこうして先生に勧められる形で出会った。
三段跳の試合に出るのはもちろん初めてで、準備期間はほとんどなかった。
14歩の助走で、右足・右足・左足の順番で跳ぶことになった。
走高跳の踏切脚は左だったが、この脚を最初の2回のホップ・ステップではなく、最後のジャンプに使う決断が、のちに長く続く三段跳選手としての武器となることになった。
迎えた当日、慣れない競技に頭の中で「1、2、3・・・」と歩数を数えながら走り「ポーン、ポーン、ポーーン」と確かめるように跳んだ。
記録は13m10。
6位でインターハイ京都府予選への出場権を得るオマケ付きだった。
「やるやん」
そうシンジに言われたとき、少し追いついた気がした。
そしてきっと、「なんで三段跳くんねん」と不満を感じていたに違いない。
ここから、高校3年間をかけて、三段跳の世界へとどっぷり浸かっていくのだった。
それはシンジとの抜きつ抜かれつの戦いの日々だった。
シンジは強かった。
6月のインターハイ京都府予選でシンジは追い風参考ながら14mを越える大跳躍で近畿大会への切符を掴んだ。
僕は予選を突破し決勝で自己ベストを記録するものの、ベストエイトには残ることはできなかった。
また、背中が遠のいた。
9月になり、近畿の各府県を勝ち抜いた選手達が集う学年別の大会があった。
この大会で、府以上の規模で初めての表彰台となる3位になった。
最終6回目の跳躍で上位選手を逆転し表彰台に滑り込んだ。
しかし、同大会でシンジは2位に入り、またしても後塵を拝した。
嬉しさの反面、悔しが募った。
中学から続けてきた走高跳もこの年は好調だった。
インターハイ京都府予選では6位タイからジャンプオフを制し近畿大会に進出した。
10月には1m91を跳び、ついにシンジの記録を上回ったのだ。
抜かれたら抜き返してくるのはわかっていた。
2週間後にシンジは1m95を跳んだ。
本当になんて奴なんだと思った。
僕も負けてばかりはいられなかった。
1m95を跳ばれたまさに同じ日、三段跳で14m12を公認で跳び、シンジの記録を越えた。
結局この年はこのままシーズンオフとなった。
中学時代から追いかけた背中を初めて追い抜きゴールした気分だった。
競技人生を振り返ると、本当にライバルの存在は大きかった。
ストイックで孤独な個人競技だからこそ。
跳躍ピットに立つときは一人。
だからこそ、弱い自分を奮い立たせてくれる存在が必要なのだと思う。
こうしてシンジというライバルと競い合い、気づけば全国の高1の中では誰にも負けないレベルになっていた。
高2になっても、2人の勢いは留まることを知らなかった。
サポートいただけたら嬉しくて三歩跳びます。