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禍中の感情を振り返る

昨日昼寝をしていたら,とても怖い夢を見ました。

私はそこそこ空いている電車に乗り込んで,座れる席を必死に探しています。ちらほら空席があるので,物理的にはすぐにでも座れる状態です。
それなら,どうして私は座らないのか??

なぜならどの空席も,その隣に座る人がマスクをせず,口を覆うこともなく,咳込んでいるからです。

電車の中をさまよい,空席を見つけて近づいた瞬間に,とおせんぼするかのごとく隣の人が視界に飛び込んでくる。息が詰まり,恐怖の中反射的にその場を離れ,他の空席に近づいたらまた阻まれる…その繰り返しです。

どんどんどんどんパニックになってきて,隣人たちはどんどん大きく,電車はどんどん狭くなっていくように感じました。もの凄い圧迫感です。

そのループの中ではっと目が覚めた時,私は「自分も怖かったんだ」と気付きました。

×存在しない 〇存在を認めない(?)

私はこのコロナ禍で,比較的落ち着いていた方だと思います。もちろん感染対策はきっちりしますし,危なそうなところからは離れるようにしていました。でも母やその他の方達ほどに怖がっているわけではなく,なんというか,無感情でした。

日々淡々と対策し,増えたり減ったりまた増えたりする数字を眺める。自分が出演する舞台の中止連絡を何度も真顔で受けとめ,身長も顔も見えない人達と共に学び,「いつでも行ける」と思っていた外国の風景は霞んでいく。
元々薄い日付感覚がさらに薄くなり,思い出は他人事。訳も分からず突然流れてくる涙を「邪魔だなぁ」と思いながら放っておく…

常にそんな状態,とまでは行かなくても,そんなことがよくありました。
コロナ禍は私が色々なことを考える期間でもあったので,そちらで脳内や感情は忙しかったのかもしれません。

ですが昨日こんな夢をみて,おそらく私は恐怖心を切り離していたのだろうと理解させられました。大きすぎる恐怖への自己防衛,いくら怖がっても状況を変えられないことへの諦め…そんなところでしょうか。だから何,ということもありませんが。

対抗策を手に入れて

翌日の今日。さきほど,一回目のワクチンを打ってきました。
年齢的に,順番が回ってくるのはもう少し先かと思っていましたが…
手配のために奔走してくださった方々,会場で誘導・対応してくださった方々,その他皆さんに感謝いたします。

私はこれまで,「ワクチンを打ったらどんな気持ちになるだろうか」と想像してきました。
多くのものを奪い,心も身体も疲弊させてきたらしいもの。それに対する唯一の対抗策を手にした時にどう感じるのか…きっとほっとして,解放された気持ちになって,涙すら出てしまうのではないかと想像していました。イメージは,解放された時のオットー・フランクです。

でも実際には,何も変わりませんでした。

会場についたらベルトコンベヤーにのせられたかの如く。気付いたら会場を出ていました。幸い打った際の痛みは全くなく,副作用も今のところ出ていません。だからこそでしょうか,自分の中ではこれまでと全く変わらず,喜びも安心も感じられません。ただ「私は打ったらしいぞ」と他人事のように知っているだけです。

これから2回目も無事に終え,色んなことの制限が無くなったら,その時に喜びや安心がやってくるのでしょうか。正直長いコロナ禍を生きると,もはやそんな世界が来ることを素直に信じられない部分もあります。
でも,「ここからきっと」という気持ちを捨てられるほど,私は無欲でもありません。禍中に生きる者として,一変した世界がどのように進んでいくのか見守りたいと思います。


驚くほどまとまってないですね。怖いんだか無感情なんだか希望を持っているのか,自分でもよく分かりません。
ですがまぁ,文章化しただけ満足です。
雨の日ってありありとした感情が薄れがちです。他の人もそんなものなんですかね

ところで7月に入りましたが,梅雨は明けるのでしょうか。毎年終わらないと思って,毎年じりじり日差しに焼かれる日を迎えていることは知っていますが,どうしてもそう思ってしまいますね。

今年は暑すぎないといいなぁ 

思っても無駄なことも、知っていますが。

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