見出し画像

いい趣味・わるい趣味(?)


「ゲーマーになりたい!!!!」

私は高校生の時,よくこんなことを考えていました。

「ゲームでご飯が食べられるようになりたい」「ゲームだけして生きていたい」といったことではなく,とにかく,「自分が選んだ趣味がある人」になりたかったのです。

当時の私は,起きる→授業→部活→勉強→ご飯・お風呂→勉強→寝る,といった生活でした。別に親から勉強を強制されていたわけではありません。新しいことを知るのは面白くて,その上やっていると評価される。こんなコスパの良い行動はないぞ,くらいに思っていたのかもしれません。今思うと。

しかし、それは心が元気なときの話。ちょっとマイナスの方向に傾いた時には,「これしか私の価値がない」「敷かれたレールを歩いてるだけ」なんて思いながら,さっきの欲望が沸いていたのです。自分で選んだ趣味が欲しい。

ところで、私にはゲームが好きな友達が沢山いました。彼・彼女たちは,テスト前になろうと受験期になっても,時間を見つけて(こじあけて?)はゲームをしていました。成績が下がって先生に怒られても,眠くて眠くてたまらなくても,ゲームをしていました。ゲームがとにかく好きだったからです。彼らは自分の中から湧き上がる気持ちによって,時に周りからのレールを無視してでもゲームをしていました。

私は、彼らにコンプレックスがありました。「それに比べて,私の時間の使い方はなんて空虚なのだろう」と。「やりたい」ではなく「やらなくては」に動機づけられて,目の前のものに向かって走るのではなく追われているから走っている。そんな私は,何がしたいのだろうと。

本当の趣味

そんなことを思っていたある時、先生から「絶対テストに出ないところでも気にするよね」と言われました。その時に改めて,「自分は何でやるんだろう?」と自問自答を始めました。

最初は、「やっといた方が安心だから」「やった方が褒められるから」といった回答ばかりが出てきました。でもそう答える自分はどこか自信がなさそう。録音したものをただ再生するロボットのようでした。
それでも「なぜ?」を繰り返していくと、困り始めた私は「知りたかったからだよ」とこれ以上無いシンプルな答えをつぶやきました。
舞台を観る時に歴史が分かってたら楽しい、もっと自分の気持ちが表せる英単語を知りたい、他の人がどんなことを考えているかもっと分かるようになりたい…そんなようなことでした。

最初は学校で渡されたからやっていただけでも、そこからのめり込むまでやっていたのは私。気になることがあったらすぐ調べて,「へー!!!!」って大興奮していたのも私。

そういった気持ちを、「勉強は趣味にならない」「人から与えられたものを受け取っただけじゃ価値が無い」「勉強が楽しいなんておかしい」「勉強はいやいややるもの」と押し殺して,偏見でわたしを苦しめていたのは私自身だったのです。

「勉強が好きな自分もアリだ。趣味に良いも悪いも無い。」

趣味に気付いての変化

それからというもの、私は何の迷いもなく、学ぶことを楽しめるようになりました。色んなことを知って、それを考えて、ひとつのコンテンツを色んなやり方で楽しむのです。

勿論今でも,追いかけられて勉強してしまうこと・無理にでも勉強しないといけない場面はあります。でも多分,今の私だったら「勉強が嫌いなんておかしい」「勉強は楽しんでやるものだから楽しまないと」って思わず,ただ「今日は勉強したくないね~~」って思えるんじゃないかな。

そんな感じで、自分と向き合いながらこれからの学生生活もやっていきたい。どうなるか分からないけど、自分で選んだ道だから、頑張りたい。


不合理な信念にがんじがらめだったので、文章化しても突っ込みどころ満載になってしまいました笑

ちなみ、私がゲームが苦手な理由は他にもあります。それについては,いつか別で書きますね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?