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「今日死ぬなら、何をしますか?」

これがこの前のゼミのテーマでした。午前がもうすぐ終わるくらいの時間。つまりあと12時間で自分の人生が終わるとした時、とりたい行動を話すのです。

みんなの回答は本当に様々でした。「実家の家族に会いに行く」「友達に感謝を伝えに行く」「お金を使いまくる」「美味しいものを食べまくる」「貯金の譲渡先を明確にしておく」「好きな人に告白する」「ひたすらぐうたらする」「まずパニックを沈めてそれから考える」などなど……
どれもそれぞれの個性が現れていて、とても面白かったです。

こういう「その人」がよくあらわれる話題は特に、全然違う答えも根本は同じだったりすると思います。その逆も然り。
例えば「ぐうたらしたい」が「普段と同じように過ごしたい」という意味なら、陸上選手が「思いっきり走りたい!」と答えるのと似てるんじゃないでしょうか?「最期も自分らしくありたい」という意味では。

こんな風に考えてみると、常に「相手は何を表現しているのか」を考えてコミュニケーションをしていきたいな、と感じます。

足をつけて死にたい

少し脱線しましたが、今回の命題への私の答えはこれでした。
「みんなに手紙を書いて、早々に睡眠薬を飲みます。寝た状態で、最後の瞬間を過ごしたいです」

教室の中の空気が一瞬止まったような気がしました。
私は何を表現したかったかというと、死ぬ瞬間まで「これでいいのかな」に追われたくない、という気持ちです。

残り12時間というなかで、自分がやりたいことを全てやりきるというのは不可能でしょう。ということはカウントダウンが始まった瞬間、残り時間を考えつつ膨大な意思決定をしなくてはいけない、ということです。
「美味しいものを食べまくる」ために、何を・どこで・誰と・どうやって食べるか…他に食べるべきものはないのか…
「もうできなくなる」と思うと、より良いものを得ようと欲が出てくるものです。そうなると、あらゆる選択の場面で「これで本当にいいのか」と悩むことになります。

ですがこれは、いくら考えても答えが出るものではありません。「いい」・「わるい」は決まっているものではないのですから。
そうなると、悩んでも仕方ないことで悩み続け、そのうち生の世界からふうっ と身体が浮いて、思考の渦にのみ込まれてしまう。そんな気がするのです。

私は、そんな状態で最期を迎えたくはありません。

それなら私は、カウントダウンから早々におさらばし、自分で決めた終わりを安らかな気持ちで受け止めたいのです。
唯一やっておきたい、お世話になった方々に感謝の気持ちを綴ったら、いそいそと棺に入っていってゆったりと微笑みたい。

「ある意味、後悔しない人生ってこと?」とある人に聞かれました。間違いではないのですが、ちょっと違うように感じます。そんな、締まった身体の男性が真っ白い歯とガッツポーズを見せつけてくるような語感は、しっくりきません。「無」とか「空気」とかの方がまだ近いものを感じます。
とにかく、人生の最期くらいは心安らかに、私を苦しめる思考の渦から離れたいのです。


こういった問いへの答えは、単純に趣味や休日の過ごし方を聞くよりもその人のことが見える気がします。
あとはその時の気分。この時の私はグレーな感じだったので、ビビッドな時には、全然違った答えを出してくるかもしれません。その時は、また自問自答してみたいと思います。

皆さんだったら、どうやって12時間を過ごしますか?

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