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友だちと向き合ってみようと思った日。

私は友だちを簡単に作ることができる。
気さくで明るい、愛嬌があるという理由で私と仲良くしてくれる心優しい人たちだ。

だが、私はどことなく一歩的に壁を作ってしまい、最終的には自分からフェードアウトをしてしまうことが多かった。

理由は簡単。「どうせいつかいなくなってしまう。お別れが来るから。」というものだった。

今までの友達付き合いをしていると、とても仲良く遊んでいたのに、時間が経つにつれて、新しいコミュニティに夢中になって連絡をしても返ってこなくなってしまう、ささいなトラブルで友だちとのつながりが切れてしまうことが度重なっていた。
本当に小さなことだが、私にとってショックであったし、トラウマになってしまうものでもあった。

どんなに相手のことを想っていても、結局は終わりが来て友だちではなくなってしまう。それなら一人でいた方が良い。
それに私なんかと友だちになると、きっと相手に気を遣わせて、イライラさせてしまう。なら初めからつながりなんて持ちたくない。

気が付けば私は友だちはいるものの、どこか一線を引いて、踏み込むことを辞めてしまっていた。


そして時間は流れて、ある友人と周囲の人たちについての話をする機会があった。
その友人は、学生時代の友人とかなりつながりがあることが分かり、ときどき一緒に遊んでいるという内容がいくつも出てきた。
私はどこか遠く、他人事かのように感じられた・・・かもしれない。

しばらくして私の友人のコミュニティががかなり限定的になりつつあると話題になった。
人数は多くなくても良いし、最低限のつながりだけで充分だと友人に熱弁をしたと思う。

すると友人はお酒を飲んでいてハイになっていたこともあり、私に一言突き刺す発言をしてきた。

「どうせいつかいなくなってしまう。お別れが来るから。だったら一人でいた方が楽、なんでしょ?ぶっちゃけ自分が友達と向き合うのが怖くて避けていたくせによく言うよ。」

一瞬私の胸をえぐり取られる、胸の痛みが貫く。

この言葉は一見残酷な発言に思えたが、私のことを的に得た、あまりにも正論すぎる内容だった。私は不意に右フックで殴られたかのようにフラフラする感覚に陥った。

そうか、私は誰かを傷つけるのを恐れていたんじゃなくて、自分が傷つくのを嫌がっていたんだ。
友人は私のその本質を良くも悪くも言語化して触れてきたのだ。

本当は人を避けたくなかった、友だちと踏み込んでいろんなことをしてみたかった。でももし踏み込みすぎて自分が傷ついたらどうしよう。
相手に自分の見せたくない所を見られて幻滅されたらどうしよう。

そういうネガティブなことばかり考えていた。
誰だって見せたくない一面もあるのは当たり前だったが、私は特に「明るい人間でいなければいけない。それ以外を見せてはいけない。」と思い込むことが強かった。

でも誰だって不完全だ。不完全だからこそ友だちと向き合って、自分の気持ちをしっかり伝えないといけないんだ。それで自他を知っていくんだ。
一線を引くのではなく、一歩踏み出してみないといけないんだ。

友人の軽いたった一言が私の「友人」への考え方を変えるきっかけになってしまうとは。人生は何が起こるか本当にわからない。

その友人の言葉をきっかけに、今まで連絡を取ることを辞めていた友だちとまた向き合ってみたい気持ちが奥底にふつふつと音を立て始めた。


私は自分のスマホを片手に、


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