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反面教師1

私はどうも生まれつき「やばい人間」を集める体質があるらしい。
この間子どもを支える恋人からお墨付きで「人間性の死んだ教師、5段階でいうと1」と評価をされた先生が2人おり、1人目の方を供養がてら載せようと思う。
ちなみにこれは昭和の話ではなく、体罰の概念がしっかりして、法律もでき始めていた平成のエピソードだ。

この先生は私の小学校中学年の時の担任である。
年はまあお察しの通り、更年期に入っている方だった。
当時の私はお釈迦様ですら説法をすることに心が折れてしまうレベルで要領が悪く、勉強も運動も良いところ無しな人間だった。
そんな子どもはもちろんその先生の愛のムチと言う名の人格否定が行われたのである。
そんな愉快な日々を綴ってみる。


てめえのドリル事件

私は先でも述べた通り、勉強が全くできない人間だった。
え?誰でもできないもんじゃ?と言われるかもしれないため、先に私のレベルを示すのであれば、低学年の簡単なテストですら全て0点を取れるという、ガッツリのび太くんタイプだった。
当時の私は、周りの雑音や気になるものが多くて授業が身に入らなかったことと、単純なものでなければ理解が追いつかない、そんな人間だった。
もちろん更年期もそんな私を見ては愛の指導と言う名の一方的ななじりを永遠をしてきていただいた。
最初の方は丁寧に教えていたが、段々とその頭角を露にすると態度が一変した。
「頭が腐っているから、覚えようとしないからー」と散々私のことを否定してくる始末。
でも分からないものは本当に分からない。

そんなイライラが幼心なりに芽生えていた。

そんなある日、私はかなり時間を掛けて取り組んだ漢字ドリルを先生が目の前で採点をするという畜生な方式を取られた。
もちろん私の努力など全く気にせず、「書き方が悪い」だと「基本的な部分ができてない」など、お笑い番組のブチギレてる審査員のような評価を喰らった。
ーさすがの私もブチギレ。
しかめっ面で静かに更年期のことを見つめていた。
するとこの私の熱い眼差しに気付いた更年期は一言こう伝えた。

「てめえのこの漢字ドリル、目の前で破って窓から投げ捨ててやろうか?」

この時目は座っており、ヤクザのような出で立ちで私を見つめていた。
しかもその手は破り捨てる気満々。

これが教育者か。
私は幼かったものの、このタイプの人間は通じないと芯まで叩き込まれた気がした。
平成だぞ、おい平成だぞ。
当時の私はただひたすら下を向いた。

※この事件をきっかけに、勉強に命を掛けて成績が受験組と渡り合えるほど伸びたため、そこだけは感謝しています。

権利剥奪事件

勉強のできない私をさらに追い込む事件が発生した。
この時期の私は2桁×2桁のひっ算にとにかく頭を悩ませていた。
この時のルールとしては、更年期の出す課題をクリアしなければ、休み時間だろうと放課後だろうと全て奪われるというクソ仕様だった。
単純にサボってそうなったなら仕方がない。だが私のように根本的に理解が難しい子どもももれなくこの仕様に入り込めてしまうというとんでも対策になってしまった。
全く解けずに一枚も進まないひっ算の問題集。更年期に聞いても「こんなのも分からないのかよ、腐ってんな」と一点張り。
腐りすぎててミイラできるんじゃねえか?と思ってしまった。

だが、そんな私達にも娯楽はある。
それは月に一度の長い休み時間の存在である。
どんなに課題があろうが、どの先生もこの時だけは目を瞑り、子どもの自由を保証してくれていた。
他学年との交流やいろんな場で遊べる自由。
私は胸を高鳴らせていた。
ーはずだった。


この時の遊びはドッジボール。1~6年生全員が混ざって大騒ぎして遊べる、私からすれば天国でしかない遊びだった。
私は早速、休み時間になると自由を求めて、みんなのいる世界へと飛び込んだ。
そして飛び込んだ先から、140dB超えの怒号も飛び込んできた。

「てめえはまだひっ算のプリントが終わってねえだろうが!!一丁前に遊ぼうとしてんじゃねえよ!!帰れや!!!」

私は思わず固まってしまった。
もちろん私だけではなく、楽しく遊んでいた子全員が止まってしまうレベルで。
もちろんそれを言われている対象は私だ。
刺すような目線が私に注がれ、注目の的を浴びていた。
自分の顔は見えてないのに、なんとなく、そして冷静に把握することができた。
多分冷や汗を垂らして顔は真っ青、そして醜い顔だったと思う。

確かそのあとは、教室でたった1人、終わりようの無いプリントとにらめっこをしていたと思う。記憶が曖昧でよく覚えてないけど。

大根足事件

私は太っており、髪も異常に長かった。というのもこの時期にストレスやいろんな事情があり、家にひたすらいたり、髪を切ることすら億劫だったというのもあるのだろう。
おかげで私は健康診断表に「肥満傾向」というデブのお墨付きを頂いた。
周りからデブであると罵られていた私は知らんぷりをして過ごしていた。
容姿について触れられることを好ましく無いが、下手にエネルギーを使いたくなかった。

ある日、絵本の読み聞かせが朝に行われることとなった。
私はこの時間は大好きで、いつも一番前に座っていた。背も、座高も低いからその位置でなければ話を知ることができないのだった。しかし、更年期はある日なにかずっとイライラしていたのか、私にとにかくぶつかることを主としていた。
そんな時に私の窮屈そうな姿を見るとこう呟いた。

「そんな大根足が前に置いてあると、周りが邪魔で見えやしないよ。どきな。」

まさか担任に容姿を貶されるまでになるとは。
この言葉を聞いた私は涙が止まらなかった。
そしてあまりの悲しさに一日中、授業であろうが机に突っ伏して泣き続けていた。
そんな姿に余計に苛立ったのが、舌打ちをしながら私の長い髪も否定してきた。

「ポニーテールってのはさぁ、馬の尻尾って意味なんだよ。そんなに長くて無意味なものなのに何でわざわざ自慢するかね。自己管理もできないくせに。」

死体蹴りにも程がある。私は更年期の身内の人間に手をかけたのだろうか。
この事件以降、私は自分の容姿に呪われ続けて、今でもポニーテールにしようとすると、この言葉がよみがえってしまう。

ダンス事件

私はダンスが嫌いだ。いや昔は少し苦手程度の認識であったが、あることを境に、トラウマを植え付けられるほど苦手になってしまった。
そのきっかけを作ったのは、もれなく更年期だ。

運動会が近づいたことにより、ダンスの練習を本格的に行うことになった。
当然私は周りに合わせて動くことなんて、エベレストに無防備で登らされるのと同然であった。
更年期は私達に向けて声を掛けた。
「今から曲をエンドレスに流す。上手い子、踊れている奴から名前を呼んでこっちに座って。だめな奴は名前を呼ばないで、そのまま躍らせるからな」

当然子ども達はざわついた。しかし所詮は小学校中学年。対抗する手立てなんて全くなかった。
そして始まったデスゲーム。もちろん運動神経の良い子や、踊れる子はどんどん抜けていく。
そして席に座る子ども達が増えていく。
だが踊れない私は、当然どんどん取り残されている。
踊れない人に対しての好奇の目、馬鹿にする目、憐れむような目が増えてくる。
こんな環境で踊ること自体私にとって苦しくて涙が出そうになった。
そして今までのことが積み重なったストレスもあり、私はめちゃくちゃなダンスをした。
それを見た更年期はとうとう私の名前を呼んだ。
だがもう一人残っていた子の名前は呼ばれずに、とうとうその子は泣き出した。
結局その時に、みんなでその子に声援を送り、やっと名前を呼ばれ終わった。
そして終わったと同時に、更年期は周りに聞こえるほど大きな声で私を怒鳴った。

「何あのめちゃくちゃなダンス。あんなのが良くて呼んだんじゃない。呼ばないとお前がいつまでもそんなダンスをするし見苦しいから呼んだ。最後のあいつの方がしっかり踊れていたし、立派だったよ。お前と違ってよお」

ダンスそのものを否定されてしまっただけではなく、比較されたことにより、周りの子も、共感しているような姿が見られた。
一番最後まで踊っていた子は周りから褒められていたが、私の周りには誰も来なかった。
ただ私の目の前にいるのは、般若と化した更年期が怒鳴りつけているだけだった。

吊し上げ事件

私は勉強も、運動も全くできない人間ではあったが、好奇心だけは旺盛な人間だった。
しかし私の好奇心の大半は悪い方につながってしまうことがあった。
今回も学校の備品を派手に汚したまま立ち去ってしまい、それがドミノ倒し方式で悪いように広がってしまった。
さらに悪いことに私は名乗り出ずに、先生方の問い詰めで本当のことを告げた。
それで叱られて、しかるべき対応だけ取られれば良かった。実際に私が悪かったから。
しかし更年期はそれで終わらせるほど、生ぬるい人間ではなかった。
更年期は、ありとあらゆる言葉で私の心が折れるまで徹底的になじっていた。
容姿も、要領の悪さも、生きている人生観も。まるで犯罪者を弾劾するような様子で。
そこにある先生が通りがかってきた。すると更年期はその先生に声を掛けた。
「あの事件の犯人を見つけました。すごくあほくさいですよ」
まるで指名手配犯を見つけたように嬉々とした顔で、誇らしげに語っていた。
他の先生は何かしら言うかと思いきや、その言葉を一緒ににやにやと笑って聞いているだけだった。

その話はそこだけで終わらなかった。
何とその更年期は、帰りのホームルームで私の起こした事件と、その詳細を赤裸々と語り始めたのだった。
その事件を起こしたことがあほくさい、そんな人間がクラスに混ざっていることへの嫌悪感、他の子どもも同じような道を歩まないようにと、私を犯罪者として取り扱ってきた。

クラスの子ども達はとても素直だった。
その日以降、少し浮いていた私は完全に犯罪者、そして排除するべき存在であると共通認識が出てきた。
いわば私はクラスのスケープゴートとして生まれ変わることとなった。
この話はまた今度書こう。


後日譚

まだまだエピソードはあるけど、なんか気分が下がるだけだからやめておこう。
ちなみに更年期には後日談がある。
まず、この間その時期の文集を見たところ、更年期についてまとめていたコーナーがあった。
いろんな楽しかったことや、印象に残ったことが書かれてたが、子ども達からよく聞く口癖が「うるせー」だった。
よく文集に書くことができたな、と失笑してしまった。

そしてもう1つ。私は学校で私のような経験をしてほしくないという願いを込めて、教員免許を取った。
いろいろあって違う職に就いたが、風の噂で私の母校に新任の先生がやってくることになった。
私の住んでる地域は、新任には経験豊富な偉い地位に就いた先生が1年間一緒に行動を共にするのだったが、例にもなくその新任の担当が更年期だった。
聞けば、更年期は教育委員会の偉い地位にまでのし上がり、今は若手の指導に命を懸けているんだってさ。
これを聞いた途端、もう笑いは止まらなかった。
今まで私にしてきた数々の仕打ちをしておきながら、結局は偉い地位でふんぞり返って仕事を何食わぬ顔して続けているなんて。
やっぱり教員ってくそだな。
私は、ただただ笑った。そして憧れていた夢を踏みにじられて、涙が出なくなるまで泣き続けた。

学校なんて大嫌いだ。


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