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29.脚本を書いたことがあったのだったわ


2011年1月くらい。

そんなこんなで、カフェをするための物件を契約し、まだ内装工事もしていない何にもない店内に、初めて購入したテーブルと椅子ひとつ。少し昔の思い出を思い出していました。



こんにちわ。
都内はずれで2011年から小さな店をしております、ペコと申します。店を始めたきっかけやその後の怒涛の話しなど、いろいろ書いております。
とりあえず、カフェ物件を借りたところまで。



わたしは小さな頃から妄想家で、妄想というと怒られたりするけど、見えない世界のことや、物からの声とか、それを題材にしたお話を書いていました。

ホームページを作り、ショートショートをネットにアップして楽しんでいたんです。

そんなある時、「ショートショートの感想と、とある賞に応募してみないか?」とのメールが届きました。心が躍りました。
もちろん賞は取れなかったし、その先にある自費出版のワナ?だったのだけど。

小さな頃、短編小説家になりたかった。
星新一とかのような。
昔から常にノートを持ち歩き、少し不思議な話を書きためていたのです。
自分の本を作ってみたかった。

わたしはそれにのりました。
お金を払って小さな本を作りました。

日常と非日常の間にひそむ、妄想満載のふしぎな世界のショートショートの本を、たしか100冊作りました。
それをみんなに販売した。嬉しかったな。

店を始めるだいぶ前に、わたしはそんなわけで昔からの夢ひとつ叶えていたのだ!

自費出版だけど、これも後悔はありません。
本が一冊も残っていないのが後悔だけどね。

 
 で、店を借りる少し前くらいに、お話を書いて欲しい頼まれたのです。


友達に芝居をしている子がいました。
出演だけでなく、芝居の企画やオーディションもやり、わたしは朗読劇の脚本を頼まれたのです。
お話は書くけど、脚本なんて書いたことはない!

けど、わたしは引き受けました。

「なんで受けたのよー!!?」
わたしの中のペコリは言います。
「だって、わくわくしちゃったんだもん」
わたしの中のペコは言ったのです。

いつもそうだった。

後先考えず、いきなり突っ走る、全くもってどうしようもない「ペコ」のあとを必死に追いかけて、無謀な行動を後始末する「ペコリ」。

自分の中には、そんなふたりのわたしがいました。二重人格というわけじゃないけど、右脳と左脳がいる感じ。
いつも「ペコ」の行動を、必死に「ペコリ」が追いかけるのです。



店のなかにテーブルと椅子がひとつ。
大きな窓はカーテンのかわりに布で隠して、わたしはそこで必死にお話を書きました。

短編しか書いたことのないわたしは、四苦八苦しながら、なんとかかんとか、書いたことのない長編の脚本を書きはじめたのです。

しばらくカフェになるはずの店は新人作家のアトリエになりました。

そこで書いたつたないこどもじみた物語の脚本は、ほんとに申し訳ないくらい稚拙な子供じみたもので、まあだれも期待はしていなかっただろうけど、なんとか出来上がり、ほんとうに朗読劇となって小さな劇場で公演されたのでした。

開けてみればびっくり!
出演者には若手アイドルたちで、なんも聞いていなかったわたしはびびりました。
引き受けた反省や後悔を隠せませんでした。

舞台がはじまる前、わたしはひっぱられて楽屋に挨拶に行きました。

そこには出演するアイドルのたまごの女の子たちがが目をキラキラさせて座っていました。
わたしが入ると、全員が立ち上がる。

わたしをみて「先生!」と言った時、
ヒー!

(脚本家と思われてるー(T . T)違う!違う!ちがうったらー!わたし先生じゃないー!)

と恥ずかし過ぎて心で叫んでいました、、、。

恥ずかしすぎてアイドルが眩しすぎて、わたしは皆んなの顔を見れなかった。

今でも思い出すと恥ずかしくて恥ずかしくて、恥ずかしいけど。いや、ほんとにあんなお話を仕事にさせてすみません、、、という申し訳なさでいっぱい、、、。

けれど、
すごい経験をさせてもらったよ、、、(T . T)
ほんとにありがとう。

うすうす気づいている人もいるだろうけど、
わたしの人生って、、、いったい、、、?


長々と長々と、、、、
続く。

ではまたね。
 

追伸
そうそう。
この後、その道ではかなり有名なスイマー?の方と知り合って、プールと陸を使った水中ショーの物語の脚本を頼まれたのです。
やってみたい、、でも、、、。


結局チャレンジしなかった、、、。
いや、無理でしょー!!?でかすぎる。
今となれば、死に物狂いで書いたらよかったかな?
いや無理だわよ。
 
 

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