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映画「Fifty Shades of Grey」を本気で褒めたい

ーまえおきー

◆映画「fifty shades of grey」に対する世間の評価が低いことが理解できず、本気で褒めたいと思って書きます。

◆ネタバレしまくりですのでご容赦ください。

◆E. L. Jamesの原作は読んでないです。
(こういうのは絶対原作の方が面白いはずなので、すごく読みたいものの、シリーズ3作で文庫本全9冊と聞いて怯み中)

◆元ネタの小説「Twilight」も読んだことがないです。
(これも読みたい気持ちは山々)

◆レビューというより、好きなところを挙げて褒めていくスタイルです。




*グレイの良さ


のっけに否定から入るのも何なのだが、グレイが若き大富豪という設定が若干邪魔だなと思うのは私だけだろうか。
あれだけ見所のあるシーンや台詞が散りばめられていながら、観客が「所詮金持ちだから‥」あるいは「大富豪なところがカッコいい!」などと思ってしまったらもったいない気がするのだ。


グレイの良さは、知性や教養や度胸があることや、不遜なところはありながらも弱者の気持ちがわかることの方じゃないだろうか。
その良さだけをもって、アナスタシアに対して、特にセックス時に於いて、支配者(ドミナント)でありたい、ということだけで物語を押してもいい気がするがどうだろうか。



*最初のインタビューシーンの細かい描写が白眉

友人の代理でグレイにインタビューに来たアナスタシア。
どうやらグレイもアナも最初の瞬間から互いに惹かれているらしいのだが、アナは友人に託されたメモを見ながら凡庸な質問をし始める。
「若くして事業に成功した秘訣は?」
そこでグレイが一瞬眉を顰める。
「‥‥本当にそんな質問をする気?」
と聞き返した上で、突然、立板に水といった調子でドライでビジネス的な模範回答をするのだ。「君はこんな経済誌のインタビューで2万回ぐらい答えたようなつまらないことを聞きたいの?」とでも言いたげに。
そしてアナから離れた椅子に座ってしまう。


しかし、アナは大学で英文学を専攻しているだけあって、そのドライでビジネス的な回答にも文学少女らしい潤った感想を差し挟む。
その度にグレイは少し意表を突かれたような表情をする。
尚もアナが友人のメモ通りつまらない質問を続けようとした時、ついに焦れたグレイは「もっと実のある質問をして」と言いながら席を立ち、アナの正面の机の上に座り直す。
焦れて、アナとの距離を言葉と態度で縮めて来るのだ。
グレイのもどかしさが伝わって来る良いシーンだ。


その後、一瞬空気がほどけた時に、アナが鉛筆を唇で咥えるようにするシーンがある。鉛筆の形そのままに唇が官能的に歪む。それを見たグレイは、自分の座っている机の縁を一瞬指で軽く叩く。そして机の縁を強く掴む。

性的に心が動く → それを抑えようとしている

この細かい描写‥‥!
並のラブシーンよりいい。


グレイはついに「君のことが聞きたい」と言い、大学では英文学専攻だというアナに、「君を最初に夢中にさせたのはシャーロット・ブロンテ?ジェーン・オースティン?トーマス・ハーディ?」と聞く。
するとアナが少し間を取ってから「‥‥ハーディ」と答える。
グレイが意外な表情を見せ、
「‥‥君はオースティンが好きなんだろうと思った」
と言う。
私の知っている範囲で言えば、ハーディといえば「テス」であり、ブロンテよりもオースティンよりも性的な印象だ。
だから、ハーディが好きだと聞いて、アナはグレイにとってますます性的に見えてくる。官能に訴えてくるのだ。
なんて絶妙なシーン‥‥!
(「テス」は昭和の文学青少年たちにとって、いやらしくてドキドキしながら読んだ小説である、と私の好きだったおじさん複数人から聞いているので、その印象だけで言ってます。違ってたらごめんなさい。)


やがて、静かだが官能的な空気の中インタビューが終わったあと、アナが乗ったエレベーターの扉が閉まる瞬間に、お互いが目を見つめながら名前を呼び合う。
「アナスタシア」
「クリスティアン」
私にとってはこれがもう‥‥キスするよりも胸に迫ってくる。


名前を呼ばれるっていいですよね。
私は好きになる人がいつもおじさんなので、大抵みんな私のことを「あなた」と呼ぶ。
そんな中めずらしく名前を呼ばれた瞬間は、嬉しくてとても印象に残る。
もし最初から名前で呼んでくれたりしたら溶けそうになる。
初めてかけて来てくれた電話に出た瞬間「花野?」とか言われたらもう‥‥。
今まで「あなた」って言ってたのに、ベッドで急に「花野」とか呼ばれたらもう‥‥。
「花野ちゃん」でも「花野さん」でもなく、あまつさえ「津田さん」とかじゃ全然なく、ぜひとも名前を呼び捨てにされたい。


‥‥えっと、何の話でしたっけ?
ともかく、名前を呼ばれるというのは、他の誰でもない、代替のきかない存在として認められていると感じられる行為なのだ。
とても大切で素敵なことなのだ。
映画の序盤、このインタビューシーンの段階で、早々に「この映画観てよかった!」と思った。


だから、映画のラストシーンで全く同じようにエレベーターが閉まる瞬間に名前を呼び合って終わった時には、妙に感心してしまった。
心の中で「なるほどね」と言ってしまったぐらいである。
壊れかけた二人が、出会った日と全く同じ構図で名前を呼び合うことで、複雑な愛情表現をやってのけている。
名前を呼び合うことで、お互いをどう思っているかがよく伝わってくる。


‥‥インタビューシーンだけでこんなに熱く語ってしまったが、まだ2時間5分の映画の最初の10分ぐらいである。本気で褒めすぎか。
あまりに長くなるので、あとはさっくりにしておく。



*エロい映画として

もちろんエロな部分にも見どころはある。
そもそも私自身もエロい映画だと聞いたから観たのだ。
ただ、きっとSM的なことが好きじゃない人は拒絶感があるだろうし、逆の人には物足りないのだろうな、と思う。
そこはもう、人それぞれですよねと言う他ない。


私はセックスの時に苛められるのが好きだけれども、本格的なことを望んでいるのではないので、本当にちょいちょいでいいので、そういう意味でこの映画のエロ加減はとてもちょうどよかった。


アナが最初にプレイルームを見せられるシーンは緊張感があり、グレイがアナの反応を心配そうに見て「何か言ってくれ」と聞くのも繊細な良いシーンなのだが、アナが、自分がする側なのかされる側なのか聞く所は思わず笑った。
そこ重要だもんね!と思った。



*よくわからない部分もある

目玉を回す仕草をしたアナが「品が良くない」という理由でグレイにお尻を叩かれるシーンがある。(この頁のトップ画像のシーン)
その時はアナも感じて喜んでいるのに、映画の終盤で「罰」として革ベルトで6まで数えさせられながらお尻を叩かれた際に、アナは泣きながら抗議する。
その結果、2人は危機的な状況になるという、とても重要なシーンだ。
それが私にはよくわからなくて困った。
その違いがわからないのだ。


「罰」だから嫌なの?
革ベルトで叩かれても、それが「愛」の文脈なら大丈夫ってこと?
それとも数を数えさせられるのが屈辱的ってこと?
本気でわからない。
有り体に言えば、
「え‥私だったらどっちも感じちゃいそうだけど‥‥?」
という感じだ。


アナは「こんな私が見たいの?」と泣きながら聞くが、私がグレイだったら「そうだ。最高に可愛いよ」と言ってしまいそうだ。
しかもアナからは見えないが、叩いている内にグレイはどんどん高揚していって、顔を紅潮させ息も上がっていき、6回が終わった時にはもうイッたような顔をしている。もし私が彼のそういう顔を見たら、嬉しくて最高にアガると思うんだけどな‥‥。
物語を展開させる重要エピソードなのに、理解できなくてすみませんと思う。


アナが、グレイと一緒に眠れないことを悲しく思うのは心から理解できる。
彼の身体に触れられないのを悲しく思う気持ちも非常によくわかる。
でも‥‥数を数えさせられながらの革ベルトは全然嫌じゃないけどな。
おかしいな。
(されたことはないけど。)


そこが理解できないので、仕方なく「アナが嫌だったのは『罰』という概念自体なのだろう」と解釈することで自分自身のお茶を濁している。



*その他

ピルのことに言及されているシーンが敢えて盛り込まれているのは良かった。
また、まだピルを使う前のアナとグレイがセックスする際、グレイがコンドームの入った袋を歯で噛み切って開け、切れ端をプッと吐き捨てるシーンも「らしさ」があって良いが、コンドームをつけるシーンを敢えて盛り込む姿勢自体も良かった。
女の作家と女の監督が作った映画らしいな、と思う。


そういう意味でいうと、私はこれをエロい映画だという以外の予備知識が無いまま観たのだが、観始めてすぐに「あ、これ女の人が原作だろうな」と思った。
そしたら原作どころか監督も女の人だったのだ。
女の好きなエロと男の好きなエロには乖離があるとはよく言われることだが、この映画を好きな大多数は女だろうなと思う。


3部作の残り2作「darker」「freed」についても書くつもりだったが、長くなりすぎたのでもうやめておく。
darkerではだんだん性癖の問題が薄れていって、freedに至っては「全然関係なくなっちゃったよ!」とツッコみそうにはなるが、どちらも私は好きだ。
恋愛映画として見ればむしろfreedは一番いいかもしれない。


ちょっとだけ真面目に話すとすれば、残り2作でグレイの性癖がだんだん「治っていく」ような描かれ方がされていると考えると見誤るんじゃないかと思う。グレイが治癒されるべきなのは生みの親から受けた虐待のトラウマであって、性癖自体ではないと思うのだ。その証拠にfreedの最後にはこれからもプレイは楽しんでいく、という2人の姿で終わっているのだから。


既に3回観たが、あと3回ぐらい観てもいいと思っている。



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