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19年間

私は2002.7.3生まれの女の子です
生まれて小学2年生まで母と祖母と祖父と姉と暮らしていました。その後は母が再婚し、父と母と姉で暮らして現在です。
母は自分はスポーツしないけど、子供にはスポーツに対してすごく厳しく、勉強については何も言わない謎な母でした。
そのおかげで、姉も私も違うスポーツですが、夢のインターハイへ出場することができ、テレビ出演も実は両方しています笑
父は自分の子供のようにとても大切にしてくれます。
怪我したら誰よりも心配してくれたり、ダメな時はしっかり教えてくれるどの家族よりも優しい父です。

今日は私のスポーツ歴について話したいと思います!

小学生の頃までとても田舎に住んでおり、
目の前の景色は山と川と田んぼとお寺でした笑
そのおかげで、外で遊ぶことが当たり前。川遊びや山登り、自然と触れ合うこともでき、運動神経は良かった方だと思います。
それを何かに、、と母が私の事を思い
4歳から中学3年生まで少林寺拳法を習い始めて
小学生なのに、中学生や高校生といつも勝負するほど
負けず嫌いな子でした。
本当に負けた時は悔しくて泣いてる時もありました笑

小学3年生からはソフトテニスを習い始めて
ただ楽しいって感じでやってました笑
中学の部活ではソフトテニスに入部して
ちょっとふざけてた私は行きたくないと思えば行かなかったりして、試合前の番手を決める時だけ行ったりして本当に迷惑かけました。
ですが、中学3年生の進路を決める時に
なぜか、このままではダメだと思い、
高校の部活では、レスリングに入部し
自分の気持ちをやり直そう。のような気分でした笑
そのおかげで誰にも負けたくない気持ちが強くなり
毎日がむしゃらにタックルし続けました。
正直、辞めたいと思い泣き崩れたときもありました。
でも、どんだけ泣いても自分を攻めても
最後は結局"ライバルに負けたくない"そう思って終わってました。笑
頑張ったからこそ、2年生のインターハイに出場でき他の大会でもメダルが取れたのだと思います。

たった19年間で
母が私の運動神経に気づいてくれて、色んなスポーツに挑戦させてくれた事や、家族みんなで私の試合を応援してくれた声援、私の心も体も鍛えてくれた環境や監督、コーチたくさんの人の支えがあったからこそ今の自分があると思っています。
1人でここまでの自分が出来たわけではないなと実感します。

そして自分の夢であったボートレーサー
私の怪我でダメになってしまいましたが
まだまだ人生これから!!!
輝いていけるかは私のこれからの行動にかかってます!!
がんばっていきます!!

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