見出し画像

【短編小説】すだちをきゅっと絞ったような

梅雨がそろそろ明けるかも、というある日。
蒸し暑いがかろうじて扇風機で過ごせるほどの初夏の陽気の中、生ぬるく重たい空気の漂う部屋の中で小さな電子の画面に向かってぽちぽちと文字を刻んでいた。
その滑稽なさまは自分が一番よくわかっている。

あまりの暑さに冷凍庫のいつのかわからないアイスを取りに行き、何回目かわからない小休憩をする。
じっとりと汗を滲ませていた体にアイスの冷たさが伝わる。

スピーカーからはAIに支配された音楽がBGM以下の世界線で鳴っている。
きゅっと胸が締まるような感覚がして、そのボリュームは勝手に上がった。

窓の外の空は、あの時と同じ色をしていた。


もう6年くらい前になるだろうか。
前の職場の仲が良かったお客さんの、同期の人と付き合うことになった。
和歌山の長期出張から高松の長期出張の合間に付き合い、すぐに高松へ行ってしまった。
お世辞にもルックスがいいとは言えないが、なんとなく人となりに好感が持てた。
だからとは言わないが、遠距離恋愛が楽しみだった。

高松までは高速バスで会いに行った。
その時は決まってこの曲、このアーティストだ。

バスの旅は大好きだった。
空と雲と木しか見えない長閑な景色を見ながらお菓子をつまんだり、携帯を触ったり、眠るための本を読んだり。
忙しく、何の変わり映えもない毎日の中で、特別な時間が流れるショートトリップだった。

大体彼の仕事中に高松に着く。
高松駅の周辺はとてもきれいに整備されている。
だだっ広い芝生の広場を超えた先は、海だ。
タリーズコーヒーでアイスカフェラテを頼み、芝生の木陰で休憩する。
海沿いの木陰でコーヒー。
最高に心地いい。

海を眺めながら少し散歩し、彼の家までことでんで移動する。
といっても、数分しか乗らない。

家に着いて荷物を置き、彼の黄色いアウトドアっぽいおしゃれな自転車を借りて近くの本屋さんやカフェ、港の近くの小さなマーケットなんかを目指して走る。
ここはいつだって空気は澄み、空は高く青い。

夜は彼と一緒に部屋で簡単なアテを作ってお酒を飲む。
定番はすだち酒のソーダ割り。
チャットモンチーを聴きながら、すだち酒ソーダで乾杯をした。
最高に、美味しかった。



そんな情景が一気にフラッシュバックした。

彼女らの曲を聞くと、どうしても高松の町が蘇る。
コンパクトで、美しくて、自然と調和する町並み。
高松港、周りを取り巻く芝生、おしゃれなカフェや雑貨屋さん。
一歩路地に入ると突然現れるちょっと物騒な飲み屋街。
美味しいごはんにすだち酒。




「僕、まだ誕生日プレゼントもらってないけど。」

別れを切り出した時、そんな一言で私たちは終わったことも含めて、胸がきゅっといつもいつも絞られたような気分になる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?