新年をもう一度
やるせない新年だった。
大きな災害や事故が立て続けに起こり、紅白の蒲鉾も、たたきごぼうも、お雑煮も、何もかもが色を失ったような味になった。
ただ揺れただけの地域に住む私は、この震災について、何かを思い、感じることすら、咎を負うような気持ちになった。生々しい重たさが胸の底に沈む。ただでさえぼんやりとした頭が、更にぼんやりとして使い物にならなくなった。
私はこのとき、正月を放棄した。
今年の正月はもういいや、と思った。
被災した人たちの嘆きを聞きながら、紅い蒲鉾をつつくことが後ろめたい。被災者でもないくせにと言われそうだが、これも性分だから仕方がない。そういう罪悪感に、私は抗えないのだ。それでも結局、もったいないからと思って蒲鉾を食べる。心と行動が真逆に引っ張り合う。
こういうとき、自分はどこまでいっても偽善者なのだと思い知る。
ふとスマホを手に取ると、
箱根駅伝は自粛すべきだ。こんなときにお笑い番組なんて不謹慎。被災地以外の人は普段の生活をするべきだ。こういうときだからこそ、被災地以外の地域の人間は、日本の経済を回さないといけないんだ。
そういった熱量の高い言葉がネットの中に溢れていた。
元日という非日常。災害という非日常が重なり合い、異様な興奮の渦が巻き起こっている。普段通りにSNSの投稿をした人に不謹慎だとメッセージがつき、そのメッセージを見た他者が、自粛厨、不謹慎厨と揶揄し、怒っている。「厨」いうのは、こだわりの強さや中毒を示すネットスラングの一種で、ほとんどの場合、いい意味では使われない。
真っ向から対立する意見というのは、中身は真逆だが、そのエネルギー量は同じなのではないか。私はそんなふうに思うことがある。二つの意見が言い争うことができるのは、お互いがぶつかれる、ちょうどいい割合の熱量を、両者が同じだけ持っているからだ。
自粛をするべき。経済を回すべき。
「べき」という言葉は、どんなに配慮して使っても、押しつけのニュアンスからは逃れられない言葉だと私は思っている。
どんなに真っ当な正義や正論も、振りかざせば騒音になりうるのだと私は感じた。
なぜSNSの中は激しく言葉がぶつかり、飛び交ったりするのだろう。災難が起こると、必ずこういった反応が増加する。この溢れ出る熱量の正体は何か。
「べき」とか「厨」など、強い言葉のレッテルを一枚一枚剥がしてみると、残るものはおそらく「不安」「恐怖」「悲嘆」なのではないかと思う。
湧き上がる思いに言葉が追いつかず、抱えきれなくなった感情は、一つの塊のようなエネルギーになる。
そのエネルギーは、胸を叩くような動悸になったり、喉元を突き上げて呼吸を荒くしたり、吐き気になったり、涙になったり。身体的な反応になって現れたりする。
だが、多くの大人は、感情が表面化することを我慢する。
でも、湧き上がってきたエネルギーは、その都度消費していかなければ、すぐには無くならない。不安、恐怖、悲嘆も、発散させなければ胸底に溜まり続け、どんどん心がしんどくなる。
SNS上に溢れ返っていた熱量の高い言葉たちは、あからさまに泣くことのできない大人たちの感情が、形を変え現れたものではないか。そんなふうに思った。
皆、悲しかったのだ。
そして今、私が書いているこの文章も、私の胸の中に溜まってしまった悲しみにほかならない。だから私には、SNSの発信に対して批判する資格はないし、私のこの文章だって、他の誰かにとっては耳を塞ぎたくなる騒音でしかないだろう。それを自覚しながら、ネットの海にこれを放つのだから、私のほうが、ずっと業は深いのだ。
あのとき飛び交っていた言葉の正体は悲しみだった。
そう実感したとき、私は、自分の心の中に凝っていたものが、静かに溶解したのを感じた。自分の悲しみを自覚し、他者の悲しみを認識することが、自分の中にある「今」に目を向ける第一歩になったような、そんな気がした。
元日に放棄したお正月。
取り戻すことはできないが、私は今、もう一度、新たな気持ちになってみようと思っている。三が日が終わり鏡開きが終わっても、私たち日本人には、まだそれができることに気づいたからだ。
今、太陽暦でお正月を祝っているが、日本人は明治5年までは、太陰太陽暦(旧暦)を使っていた。もし、旧暦でお正月を祝うなら、まだ新年は来ていない。
2024年、旧暦のお正月は、2月10日土曜日だ。
私はこの日にもう一度、「新年がきた」と意識してみようと思う。そうやって、新年を思い直してみて自分が何を感じるのか、じっくりと内観していきたい。
お読み頂き、本当に有難うございました!