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祖母とチャーハンと私

 小学生の頃、私は祖母が苦手だった。
 自分は、祖母にあまり愛されていない、そう感じていた。
 私には姉がいるのだが、何よりも祖母は、この姉が可愛くて仕方がなく、その愛情の熱量には、かなりの温度差があった。

 母は週に1度、金曜日に、仕事で家を留守にしていた。そのときは祖母が自宅にやってきて、私や姉の面倒を見てくれる。小学1年生の頃の私にとって、金曜日は、とても気が重いものだった。

 私が帰ってきても、姉じゃないとわかると、露骨にがっかりされ、姉だと、まるで猫でも帰ってきたかのように、姉の名前を呼び続ける。
 慣れていたとはいえ、やはり気持ちは落ち込み、その都度、自分を真っ向から否定されているような気分になった。

 その日、帰宅する私の足取りは重かった。
 祖母と向い合わせの金曜日だからだ。姉が帰ってくるまで祖母と二人きり。何を話していいのか、全くわからなかった。
 テレビの音だけが、静かに響く。

「お腹すいてない?」

 その日に限って、祖母がそんなことを訊いてきた。そういえば、空いていたかもしれない。
 私が、うん、と頷くと、

「台所に冷ご飯があったんだよねぇ」

 と祖母が台所に向かう。

「でも、好き嫌いが多いからねぇ。チャーハンなら食べられる?」

 私は当時、食べられないものが多く、母も手を焼いていた。
 祖母はそれを気にして、私に訊いたのだろう。チャーハンは大好きなので、私は、うん、と応えた。

 祖母が、台所に立つのを、その時初めて見た。料理を作ってもらうのも、もちろん初めてだ。
 それを言うと、

「昔は随分作ったんだけどねぇ」

 と言って、鉄のフライパンに火をかける。危ないから、向こうに行っといでと言われ、テレビのある部屋に戻った。
 台所の奥で、ジュウジュウ、油が鳴っている。今までなかった出来事に、私はドキドキした。

「本当ならネギが入ると美味しいんだけどねぇ、あなたは嫌いだろうから、玉子だけだよ」

 ご飯茶碗に、チャーハンがこんもりと湯気を立てている。
 スプーンを、はい、と手渡され、私はいただきますを言って、いい匂いの湯気をスプーンでかき分けた。
 一口、食べた。
 祖母が黙ってこちらを見ている。

「うん!おいしい!」

 あまり表情は崩さず、そりゃ、良かった、と言って、テレビに視線を向けた。

 祖母の作った、ごはんと卵だけのチャーハンは、なぜか、病みつきになりそうなくらい異様に美味しかった。

「サラダ油で玉子を炒めてから、冷ご飯を入れてね、塩と、ほんの少し、化学調味料を振ったんだよ。おしまいに御下地おしたじを回しかけたから、色が悪いけどね」

 祖母は、醤油のことを、ずっと御下地おしたじと言っていた。この醤油が焼けた香ばしさが、味の秘訣なのだろう。

 この日から、祖母と私は少しづつ、会話をするようになった。

 私は今でもたまに、一人で食事をするときに、この祖母のチャーハンを作って食べる。

 2020年の春、祖母が他界した。
 コロナ禍だったこともあり、葬儀には参列できず、祖母の最期を見送ったのは、母と叔父の2人きりだった。

 祖母に対して、複雑な思いがあった。
 でもなぜか、このチャーハンを食べると、不思議とそんな気持ちよりも、感謝の気持ちが増してくる。

 これだから、家族って厄介なんだよなぁ。

 たまに醤油のことを、御下地と言ってしまう自分に苦笑しながら、私はずっと、こうして祖母のチャーハンを作り続けるのだろう。




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