見出し画像

ポッキーのおばさん

                     ・ショートストーリー・

冬の日、団地の立ち並ぶ街中を、僕は一人歩いていた。
ヒューッと風が音を立て、耳の裏を通り抜ける。

ちょっと、コンビニのおでんでも買って食べようかな。

その風の冷たさに、思わずおでんが恋しくなってしまう。
僕は、日の短さを感じながら、駅に向かって歩いていた。

「わーーーーーーん!」

遠くで子供の泣く声が聞こえてくる。
張り裂けそうなその悲痛な声に、僕は声のする方を見た。
小さな男の子が、一人で泣いている。
大丈夫かな、と思いながら、そちらに向かおうとしたら、

「どこにいるのーーーーー?!」

という女の人の声が聞こえてきた。

「ここぉーーーーー! ここぉぉぉーーー!」

男の子は叫ぶ。
すると、団地の脇から、赤ん坊を連れた女性が、
男の子に向かって駆け寄ってきた。

「おがあさん、おがあさぁーーーーん!」

男の子も、そちらに駆け寄る。
どうやら、迷子になりかけていたようだ。
離れちゃダメでしょう、などと言いながら、
男の子の手をひいて、親子は去っていった。


幼い頃、こういうことが僕にもあった。

父親に連れられて、妹と一緒に、
駅から家路につく途中のことだった。
もう、辺りは真っ暗で、団地と団地の間に立つ、電灯が、
ぽつりぽつりと道を照らしている。
僕はまだ小さくて、てくてくてくてく、歩いていた。

冬の寒さで、薄ぼんやりと息が白くなる。
自分の口から煙が出てくる。
ただひたすらホフホフと、息を吐いては、吸いを繰り返し、
その白い煙だけを追うように見ていた。
まるで機関車トーマスみたいだ!
何だかすごい発見をしたような気になって、
父にそれを伝えようと、

「お父さん、見て、見て!」

と言って、父のいる方を見上げた。
しかし、そこに父はいない。
ぐるりと周囲を見回す。やはり父はいない。
電灯に照らされた道が一本、目の前に見えるだけである。
僕は、パタパタと走りながら、父を探す。
右を見ても、左を見ても、誰もいない。
辺りの暗さと、寒さが、僕を一層、心細くさせる。
自分の両脇を挟む団地が、まるで大きな化け物みたいに見えた。

このまま、家に帰れなくなったら、どうしよう。
このまま、お父さんにもお母さんにも会えなくなったらどうしよう。

そう思うと、胸が突き上げるように苦しくなり、
恐ろしくなって、声を上げて泣いた。

どれくらい泣いていただろうか。
遠くから大きな声で、

「どうしたのーーーーー?!」

という声が聞こえてきた。女の人の声だ。
僕は泣き続ける。

「どこにいるのーーーーー?!」

同じ声が、そう言っている。
僕は、何だかわからず、ただ、

「ここぉーーーーー! ここぉぉぉーーー!」

と泣きながら応えた。
すると、買い物袋を持ったおばさんが、僕のそばに近づいてきた。

「どうしたの、坊や?」

白髪交じりで優しそうな、少しふくよかな、おばさんだった。
僕は泣きながら、おばさんに話をした。
おばさんは、うんうん、と聞きながら、僕の体をさすってくれる。
このおばさんなら、きっと
僕をお父さんとお母さんのところに連れて行ってくれる。
そう思ったら、どうしてもおばさんを離したくなくて、
その手をギュッと握ってしまった。
おばさんが僕に話しかける。
僕はイヤダイヤダ、と言いながら、更に強く手を握る。
しばらくして、おばさんは、僕にお菓子を差し出した。

赤い箱のポッキーだった。

未開封のその箱を、僕は脇に抱えて、おばさんの手を握り続けた。
おばさんに連れられて、トボトボと道を歩いていく。
その先には交番があって、おばさんと一緒に中に入ると、
その奥で、父が妹と一緒に、椅子に座っていた。
父の顔を見て、固くなっていた心が一気にゆるむ。
安心して大泣きしたいところだったけど、妹の手前、
大きな声では泣けなかったので、メソメソと父の胸に顔をうずめた。
少し気持ちが落ち着いて、ふと、周囲を見回すと、
父と妹と警察官、他に誰かいたようだったが、
あのおばさんは、いなくなっていた。
僕の手には、あの大きな温かい手のぬくもりと、
赤いポッキーの箱だけが残っていた。


最近になって、父と、この話をしたら、
迷子の僕を保護してくれたのは
40代くらいの細身の女性だったと聞いて、驚いた。
しかし、僕の記憶では、ずっと手を握ってくれていたのは、
あの白髪交じりのおばさんなのだ。どう考えても40代ではない。
ふくよかで、手があったかくて、その手は父や母よりも厚みがあって、
とても安心感があった。
ポッキーだって、そのおばさんがくれたものだ。

僕はコンビニに入って、お菓子売り場のポッキーを見る。
パッケージは、あの頃と少し変わってしまったけれど、
変わらない赤い色が、僕の記憶を、より鮮明にする。
何をどう思い返しても、おばさんのことしかよみがえってこない。
父は、僕の勘違いだと言うけれど、
僕は、この時の出来事を、幼い頃の勘違いだとは思いたくない。
あの優しかったおばさんのことを、勘違いの一言で
僕の中から消してしまいたくはなかった。

僕はポッキーを買い、あの頃よりも大きくなった手で、その箱を掴む。

あのおばさん、生きてたら、今いくつくらいになるんだろうか。

そんな事を考えて歩いていたら、おでんを買うのを忘れてしまった。






お読み頂き、本当に有難うございました!