昼間の酒と背徳感

 背徳感という言葉がある。
 Weblio 辞書によると、背徳感とは、本来あるべき人の道に背いた、後ろめたい感覚のことをいうそうだ。つまり、真っ当な人生を歩みたいならば、できるだけ感じない方がいい感覚といえる。

 こんなことをしたらマズいんじゃないか。
 人生にはそんな誘惑が、ゴロゴロと転がっているものだ。私も先日、調子に乗って、お昼にチーズたっぷりのトーストなどを焼いてしまったせいで、凄まじい誘惑に襲われてしまった。

 冷蔵庫の中に、赤ワインが冷えているのだ。

 手にした皿には、とろーりとろけるチーズが香ばしく焼けたトーストが乗っている。チーズと赤ワインのマリアージュは凄まじい。これをワインと一緒に食べたら、極上の時間が手に入れられるという確信がある。

 しかし、今は平日の昼間だ。

 ここを我慢すれば、私は人の道から外れないでいられるが、飲んでしまえば人の道に背くことになる。
 嗚呼、人の道とは、なんと苦しい道なのだろうか。
 ここでコーヒーが飲める人ならば、難なく、人の道を外さずにいられるのだろうが、私はコーヒーが飲めない。

 私は、同じ焼くなら、チーズトーストではなく、餅にすればよかったと後悔した。なぜあのとき、チーズトーストという選択をしてしまったのか、餅ならば、赤ワインを思い描くことはなかったはずだ。調子に乗って、ハイカロリーなチーズトーストを焼いてしまったばっかりに、私は一人、真っ昼間から冷蔵庫の前で身悶えることになってしまったのだ。

 まだやることが十二分に残されたこの真っ昼間。
 そんな時間にワイングラスを傾けることは、やはり人の道に背くことだ。私は後ろ髪ひかれつつも、冷蔵庫に背を向けた。やや悶々としながら緑茶を淹れ、断腸の思いで、際限なく伸びるチーズたっぷりのトーストを食べたのである。

 私が、強靭な精神力でもって、背徳行為を回避した数日後のことだ。
 夫が夜勤明けで帰宅し、朝昼兼用の食事を終えた。ここで、いつもなら食後にコーヒーを淹れるのだが、買い物やら何やらで立て込んでおり、その日私はコーヒーを淹れてあげられなかった。そんなとき、夫は自分でコーヒーを淹れ、買い置きのクッキーなどを探し出して食べていることが多い。
 ひと仕事終わり、やれやれと、部屋に戻ると、夫の手には、なんとコーヒーではなく、缶チューハイが握られていた。

「あっ!」

 私は思わず声を上げた。
 夫は夜勤明けでヘトヘトである。自分でコーヒーを淹れるのは面倒だったのだろう。何か適当な飲み物はないかと冷蔵庫を眺めていたら、きっとチューハイが、疲れた夫を見つめ返してきたのだ。

 窓から差し込む、真っ昼間の日差しを受け、チューハイの缶がより一層輝いて見える。赤ら顔の夫は、焦りながら私に言った。

「こ、これは、花見の練習だよっ!」

 言い訳が春めいている。
 夜通しで仕事をして帰ってきたのだから、夫にとっては、昼であろうとこれは晩酌だ。誰からも文句を言われる筋合いはない。しかし、昼間の酒というのは、どんなに正当性があろうとも、それだけ得も言われぬ背徳感を連れてくるものなのだ。

 私もあのとき、チーズトーストを片手に
「これは、花見の練習だ」
 そう自分に言い聞かせ、ワインを飲めばよかった。そんなことを思いながら、私は夫に、買い置きしてあった乾き物を差し出すと、夫は、
「あら、すみませんねぇ」
 と言って、さきイカの袋を開けた。

 三月に入り、随分と温かくなった。梅が咲いたら、桜はもうすぐである。「花見の練習」などという言い訳が通用するのは、ほんのひと月ほどだ。今年の花見も盛大に行なわれることはないだろうが、せめて家では、背徳感を抱きつつ、花見の練習をしてみるのも悪くないかもしれない。

 
 


 

 


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