新年におせちと黒豆への思いを語る
年の瀬は、台所仕事が忙しくなる。
最近は台所ではなく、キッチンというのが一般的だが、せめて年末年始くらいは、この調理場を台所と言いたい。
私はそんなことを思ってしまう。
近頃はおせちも買う時代となり、小晦日、大晦日はのんびり過ごす人も多くなってきた。それはそれで、私は悪くないことだと思っている。日常を、非日常のようにバタバタと慌ただしく過ごす現代人が、ようやく人間らしい休息がとれるのは、もしかしたら正月くらいかもしれないと思うからだ。
それに、今は目新しく、美味しい料理がたくさんある。甘辛い根菜や、煮込んだ魚、あまいあまい伊達巻やきんとん、黒豆など、昔はご馳走だったおせちも、今となっては、正月に食べなければならない、決まりごとになっている気もする。
正直私も、おせちと好物のワンタンメン、どちらがいいかと問われたら、舌はワンタンメンを求めてしまうかもしれない。
それでもお正月はおせち料理を一つでも並べないと、そわそわしてしまう。年神様をお迎えするのに、ワンタンメンではいけないような気がしてしまうのだ。
だから私は毎年、重い腰を上げて支度をする。年々、手抜きが目立つようになってきたが、それでも作る。これはもう、伝統や文化を重んじるというよりも、気持ちの問題かもしれない。
昨年、最後まで作るかどうか悩んだのは黒豆だった。
若い頃、私は黒豆に皺が寄らないよう煮ることに血道を上げており、失敗すると、作り直すこともあった。そんな、これまでの道のりが、ずっしり重たく肩にのしかかる。
年々、黒豆を食べる量が減り、夫婦二人で食べきるのがしんどくなってきた。そうなると、さぁ作るぞ! という思いは、どうしてもしぼんでいく。
それでも私は、やはり黒豆を煮ることにした。
買ったら食べきるのも楽だし、何より味も安定している。でも、買ってしまっては、自分が後ろ暗いことをしたような気になって、新年早々、気持ちが萎えそうだと思ったのだ。
伊達巻も買うようになったし、栗きんとんも缶のものを買っている。楽することを、どんどん自分に許してきたにもかかわらず、黒豆はだめだった。黒豆を煮ないと、皺が寄らないよう丹精込めて煮てきた、若かりし頃の自分を裏切るような気がしたのだ。
時代錯誤かもしれないが、何とか台所を守ろうと思っていたあの頃の自分を、ガッカリさせたくない。そんな気持ちが、まだ胸の内に残っているらしい。
そうして、ようやく2022年最後の台所仕事を終え、はぁヤレヤレ…と思っているうち、年が明けた。
あけましておめでとうございます!
今年のおせちは、つまみやすい薄切りの筑前煮。和え衣に山椒をきかせた、長門裕之のたたきごぼう。
茹で上げた鶏と豚を醤油で漬けるだけの豚と鶏のチャーシュー。
素揚げ里芋のバターニンニク醤油和え。(以上の5品は冷凍もできるので、余っても安心)
そしてこんにゃくと舞茸の煮物。
バターで炒めるだけでスナック感覚でつまめる桜エビのバター炒め。新年から物騒な名前だが、麻薬卵。
自家製の紅白のかぶの漬物。
ちくわや根菜、鶏ささ身、油揚げが入った青森風のお雑煮。
そして土井善晴さんのレシピで作った黒豆。
以上の10品を手作りした。あとは買ったかまぼこ、伊達巻、きんとん、松前漬けやいくらなどが華を添えてくれている。
今、まさに、これらをちょいちょいつまみながら熱燗を啜っている。
我ながら地味な正月料理だけれど、根菜、こんにゃく、舞茸が使われているので、整腸作用抜群。腸内環境にはとてもいいおせちだと思う。(ごぼう、こんにゃく、舞茸は、同時に食べるとおなかにとてもいいらしいです)
なので、せっかくの腸内環境を乱さぬよう、何とかして、どうにかして、お酒の方も適量を心掛けたい。できれば1合で済ませたい。気を良くして、ワインやビール、ウイスキーなどに手を出さないよう努めたい。
と、現時点では思っている。そう、現時点では…。
お読み頂き、本当に有難うございました!