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福岡で食い倒れたい

 自分には、あとどれくらい旅をするチャンスが残っているのだろう。
 四十を過ぎて、そんなことを思うようになった。
 限りある命、行ってみたいところは山ほどある。それなのに、知らない町を旅することが、年齢を重ねるごとに億劫になってきた。夫婦揃って方向音痴のせいもあるかもしれないが、何度も訪れた馴染みの場所は、事前準備も少なくて済むので気が楽だ。

 しかし、そうはいっても、一度も行ったことのない場所に足を踏み入れてみたい。そんな思いは募る。夫と今度旅するならどこに行きたいか、そんな話をするが、候補地はなかなか決まらない。
 困ってしまうのは、脳、心、胃袋で、旅してみたい場所が、それぞれ違うことなのだ。

 脳は、「歴史を学べるところがいい」と言い、心は、「煩悩を少しでもなくせる場所に行きたい」と言う。しかし、胃袋の方は、歴史だの煩悩だの、そんなことを蹴散らす勢いで、こう言ってくる。

「なに言ってるんだ!福岡だ!」

 私は抑えようとしても、抑えきれない欲望を持っている。大概の欲は、「どぉーどぉー」と言って収められる気がするのだが、この欲ばかりはどうにも収まらない。その欲というのは、 

 そう、食欲である。

 胃袋と食欲が、がっちり肩を組んで、

「ふーくおかっ!ふーくおかっ!」

 そんな熱い福岡コールを繰り返すのだ。その勢いはまるで、ホークスを応援する福岡県民のようである。

 それにしても福岡とは、一体何なのだろう。
 お酒と食べ物の相性を追求して止まない、その姿勢には、驚きを通り越して、畏怖の念すら抱いてしまう。福岡は本当にお酒に合う名物の多い県だ。

 福岡名物と言えば、やはり明太子は外せない。
 明太子は子供の頃からの大好物! 今でも冷凍庫に明太子がスタンバイしていると、気分は上々。私にとって、ご飯のお供ナンバーワンは、今も昔も明太子一択だ。

 大人になってから夢中になったのは、モツ鍋である。
 しかし、なんですかあれは。
 キャベツが際限なく食べられ、モツはまとわりつくように舌の上に転がり、ニンニクとニラの風味が後を引く。それらの旨味を凝縮させたスープは、凄まじいコクを放つ。しまいにはそこにちゃんぽん麺を投入して食べろと言うのだからたまらない。
 私はお肉屋さんでマルチョウなどを見つけると、即購入し、喜び勇んでモツ鍋を作るのだが、何度食べても本当にビールに合う。合いすぎて困るくらいだ。

 モツなどの肉だけではなく、九州は白身魚が美味しいと聞く。刺身となると東日本ではマグロを有難がるが、九州は白身魚の刺身が絶品だそうだ。そんな刺身で、日本酒を一杯。なんていうのもオツである。

 日本酒といえば、福岡県久留米市には、旭菊酒造という酒蔵がある。
「えっ!この味でこの価格?」
 思わずテレビショッピングのようなことを口走ってしまいたくなるほど、ここの純米酒は美味しいのに、安いのだ。できることなら、酒蔵見学もしてみたい。
 行きつけの酒屋さんは、
「福岡の日本酒は他の県に比べてどれも安いんですよ。福岡価格なんですよね」
 そんなことを言っていた。
 福岡価格…。
 その言葉に、一滴でも多く、美味しく安く飲みたいという、福岡県民のお酒への強い思いを感じた。

 とにかく、福岡というところは、何が何でも酒飲みを殺しにかかってくるから恐ろしい。本当に物騒な県である。

 私が特に、これは完全に殺される!と打ち震えたのは、「とりかわ」という食べ物を見たときだ。

 酒飲みは何故か串に刺さったものが好きだ。
 串に食べ物が刺さってるだけでテンションが上がる。飲んでやろう!という気分になる。左手にジョッキ、右手に串を持てば、左右交互に口に運ぶ上下運動が延々と続いてしまう。

 しかも私は、スーパーで鶏皮を買ってきて、味噌煮込みを作り、酒のアテにするくらい鶏皮が好きなのだ。焼き鳥を買うときも、必ず皮を注文する。

 そんな皮好きの私が、福岡発祥のとりかわなる食べ物を見たとき、食べたい気持ちを通り越して、一瞬くらりと眩暈がした。

 こ…こういう、鶏皮の串があるのか…。

 普通、焼き鳥の皮は生の皮を普通に串打ちし、それを焼いて、たれや塩で食べるものだ。それでも充分おいしい。しかし、福岡のとりかわは、鶏皮が串にぐるぐると巻きついていて、カリカリに焼かれている。普通の鶏皮の串とは、似て非なるものだ。とりかわの写真を見ただけでも、香ばしさが鼻をくすぐってくる。

 しかも、普通の焼き鳥の串打ちと違い、このぐるぐる巻きの串打ちには、結構な時間がかかるらしい。手間暇かけて打ったその串を、焼いては寝かしを何度も繰り返し、完成までに数日かかるという。
 こうなると、もう執念である。

 福岡県民の執念が作り上げた、このとりかわを食べずして、酒飲みを名乗れるだろうか。東京にも、とりかわが食べられるお店があり、通販で購入可能のようだが、やはり現地で焼きたてを味わってみたい。

 そうして、ありとあらゆる博多のお店で、しこたま飲んで食べ、膨れたお腹を引きずりながら、〆にラーメンもいいなと思いつつも、私の足はうどん屋へ吸い込まれるのだ。私は長年、福岡のうどんに憧れているのだが、まだ一度もその味を口にしたことがない。

 牧のうどんウエスト資さんうどん

 お店のホームページを見ては、何度も生唾を飲み込んできたお店だ。
 恍惚とした幸福感に包まれながら、ごぼ天をかじり、柔らかいうどんをすする。お店を出た後、満腹で一歩も動けなくなり、私は福岡のド真ん中で大の字になって倒れてしまうかもしれない。

 そんな予感に、私は旅する前から震えているのである。


 

 

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