夫、妻を国宝にする
寒い日の夜、食卓では湯豆腐が煮えていた。
燗酒を平杯に注ぎ、鍋の中の豆腐の塩梅を見る。ほわほわとした湯気の中で豆腐が揺れていた。湯豆腐は煮えばなを食べるのが一番美味しい。私は左手で掬い網、右手で菜箸を持ちながら、崩さないように、夫の器に頃合いの豆腐を入れようとした。
すると夫が、
「ねぇ、ティッシュ取って」
私の脇に置いてあるティッシュを指差して言った。
しかし私は今、両手が塞がっている。そんな妻を目の前にしながら、ティッシュを要求する夫。ほんの少しくらい待てないものか。私は思わず、
「何だって?」
と不満をあらわにして聞き返した。しかし夫は構わず、
「鼻水出ちゃった」
そう言って鼻をすすっている。
確かに、寒い日に温かいものを食べると、体内の水分が一気に温まって、鼻水が出やすくなる。しかし私は豆腐を掬うために、ただいま両手を使用中だ。いくら近くにティッシュがあるからといって、すぐさまそれを取ることはできない。私は夫に抗議した。
「あのねぇ、今あなたに豆腐をよそっている最中なの。よく見てご覧なさい。両手が塞がってるでしょう。何でこのタイミングでティッシュを要求するの?」
いくら鼻水が出そうになっているとはいえ、自分の両手はぶらぶらと空いているのだから、少し移動してティッシュを取ればいいだけの話である。何でもかんでも妻を頼っていいものではない。
すると夫は、鼻水をズズッとすすり上げて、こう言った。
「両手が塞がってるなら、背中に隠してる手を使えばいいじゃない」
できない相談である。
夫の無理難題に、私は一言、こう返した。
「あたしゃ、阿修羅じゃないんだよ!」
奈良の興福寺にある国宝の阿修羅像は、肩から6本の腕が伸びている。合掌している2本の腕以外は、背中から伸びているように見えるが、実はすべて肩から伸びている。ちなみに顔も3つある。
私は奈良に旅した際、実物の阿修羅像を見たことがあるが、少年のように華奢であるのに凛々しさを感じさせる表情は、まさに圧巻であった。
しかし、私は一介の主婦である。
6本も腕を出せるほど、徳も積んでいなければ、悟りも開いていない。ごくごく普通の中年女なのだ。
しかし、もし夫が自分の妻を、国宝の阿修羅のように思っているのなら、そんな妻に豆腐を掬わせるなど、とんでもない話である。しかも鼻水が出たからティッシュを取れだなんて、もってのほかだ。国宝なのだから、もっと大事に扱ってもらわないと困るのだ。国の宝をこき使うなど、罰当たりが過ぎるのではないか。
私はそんなことを、盛大に夫に捲し立てながら、二本しかない手で豆腐を掬い、ティッシュを引き抜き、夫に手渡した。
夫は、鼻水の詰まった声で、
「すびばせんね」(すみませんね)
と言い、それを受け取る。そして、チーンと鼻をかんで一言、
「あ、ごみ箱取って」
と言い放ったのである。
私は阿修羅のごとく夫を睨みつけた。しかし夫は、そんな妻にかまうことなく、仏のような表情でニコニコして、ごみ箱を待っている。
これは只者ではない。
一体、夫は何様なのだろう。殿様、神様、仏様…いや、もしかしたら夫の本当の正体は、お釈迦様なのかもしれない。
元々、阿修羅は釈迦如来に仕える身である。釈迦如来が、
「ごみ箱取って」
と言えば、阿修羅は6本の手が塞がっていようとも、その命令に逆らうことはできないのだ。
私はそんなことを思いながら、我が家の釈迦如来に、ごみ箱を手渡したのである。
興福寺阿修羅像
飛鳥寺 釈迦如来像(飛鳥大仏)・明日香村公式チャンネル
その他の夫とのエピソードはこちらのマガジンにまとめています。
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