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恋は猫をかぶらないと、成就し得ないものなのだろうか。 彫刻刀で掘ったような深い皺を眉間に刻み、小田切昌子は腕組みしながら考え込んでいた。 社員食堂の端の席でたぬきそばを食べ終えたとき、先日の合コンでの光景がまざまざとまぶたの裏に浮かんできたのだ。あのときも、昌子は店の奥の右端の席に座っていた。 小田切昌子は、鼻の穴を大きく膨らませ「むーん」とも「ふーん」ともつかぬ曖昧な音の溜息をついた。その様子はまるで、三日煮込んだこだわりのスープが自慢の、ラーメン屋の主人のよう
「おい、何してるんだよ!」 学校近くの公園で、匠が猫を追いかけ回していた。 幼馴染の匠は変わり者だ。付き合いの長い俺は慣れているが、学校の皆はヤツの変人ぶりをまだ知らない。こんなところを誰かに見られたら大変だ。 「モーツァルトの弦楽五重奏曲を猫の声で再現したいんだ!」 匠はクラシックを愛する中一男子だ。特にモーツァルトがお気に入りで、ヤツの家に行くと、俺はいつも弦楽五重奏曲第四番を聞かされた。 「弦の音が猫の鳴き声みたいだと思った瞬間、ピーンときたんだ!」
このまま、天才の噛ませ犬になってしまうのか。 将棋界に現れた天才少年は、あっという間に七つのタイトルを獲得した。全冠制覇まであと一つ。私はそのタイトル戦で天才を迎え撃たねばならなくなった。 だが既に三連敗。もう後がない。 第四局の対局場は地方の高級旅館だった。 地元の関係者たちが、天才のタイトル奪冠を願う中、旅館の板場に勤める青年が、 「ずっと応援してます!」 人目を盗んで、私に声をかけてくれた。 今、私の目の前には豪勢な昼食が並んでいる。 世間でいう
今、私にかつてないほどのモテ期が到来している。 そうなる少し前、こんな夢を見た。 蠅サイズの小さな天使がブンブン飛んでいる。天使が私の唇に止まりキスをすると、細胞が分裂するように天使が増殖し始めた。顔が無数の天使に埋め尽くされ、息苦しさに私は目が覚めた。 夢占いのサイトによると、天使にキスされる夢は、恋愛運向上や恋の出会いを示しているらしい。 だが実際はモテすぎたせいで、私は職場で睨まれ、彼氏に嫉妬され散々だった。そのときの苦労をうっかり口にしたら、自慢だと思
「今日の合コン、何だったんだろうね」 私達三人はそう言いながら、マクドナルドでコーヒーを啜っていた。 三人揃って失恋したばかりの私達は、元彼を忘れさせてくれるような、面白い人との出会いを求めていた。そこで、顔の広い岡田君に合コンをセッティングしてもらったのだ。しかし、どうやら「面白い」の方向性が違っていたようだ。 私達の自己紹介が終わったとき、林という男が突然、 「君達三人がここに揃うなんて奇跡だ!」 と言い、興奮した様子でこう続けた。 「君達の名字は、何と日
俺が《宝くじ魔法学校》というアカウントでTwitterを始めたのは十年前のことだ。最初のツイートは、 宝くじを買う前日は塩で頭を洗い、心身を清めましょう。 もちろん、何の根拠もない出鱈目だ。 だが、そんなふざけたツイートが徐々にウケ始めた。俺は校長、フォロワーは生徒、という謎のお約束ができあがり、コメントやリツイートをされるようになった。 しかし、出鱈目でもネタは尽きてくる。ある日、俺はヤケになってこんなツイートをした。 売り場の前で三回回って、隣の人の尻
ミイラ取りがミイラになるとはこのことだ。 「総理、そろそろ解散時期を決めて頂かないと」 「あと少しで運試し期が来そうなんだ。それまで待ってくれ」 私には目もくれず、スマホ片手に総理が言った。 今、あるスマホアプリが日本を席巻している。 自分の行動をアプリと連携させることで、自分の運を育てるゲームアプリだ。基本情報を登録すれば、自分の運気が赤ちゃんの姿に擬人化され、画面に浮かびあがる。妊婦や高齢者の手助けなど、ポジティブな行動をすると、その子が育っていくのだ。運試
「お客様第一よりも執念だ! 執念第一で契約を取ってこい!」 それが口癖だった上司のパワハラのせいで退職した私は、その後も上司の顔がフラッシュバックする症状に悩まされていた。 テレビ体操第一を見て動悸がしたり、運転中、安全第一の看板に動揺して事故りそうにもなった。《第一》という字を見ると《執念》を連想し、上司の顔が浮かぶ。そんな呪いをかけられているようだった。 今、私の唯一の楽しみは、娘が出場する陸上大会を観にいくことだ。リレーの選手に選ばれ、頑張る娘を見ていると
「お父さんの嘘つき!」 今日、息子がサンタクロースの正体を知ってしまった。翔はまだ4歳。現実を知るには早すぎる年齢だ。 「サンタなんかいないって、誠くんが言ってた! 本当は…本当は…」 「待て、翔! それ以上言うな!」 翔がそれを口にするのが耐えられなかった私は、近所の悪ガキ、誠を恨めしく思いつつも、翔の口を塞いだ。 「いいか、翔。サンタはクリスマスが近づくと仮面ライダーみたいに変身できるんだ。人間が気づかないだけでサンタはあちこちにいる」 「そうなの?」
おまわりさん、おまわりさん! お願いです。ぼくを児童相談所ってところにつれてってください。何しに行くのかって? 保護してもらうんです! ぼく、テレビで見ました。お父さんお母さんと一緒にいられなくなった子は、児童相談所で保護してもらえるって。でも、ぼく、行き方がわからないから、交番に行けばつれてってもらえると思ったんです。 ケガ? あざ? そんなものはありません。だって、ぼく殴られてないもん。でも、ぼく、もうお父さんお母さんとは、一緒にいられないんです。だから今すぐ
新進気鋭の実業家と持て囃されていた男の悩みは自己管理だった。 事業がうまくいくにつれ会食が増える。どれも豪勢で旨い食事だったが、男の好物は背脂たっぷりのラーメンだった。どんなに遅く帰宅してもラーメンを食べて寝たい。だが当然太る。男は悩んでいた。 そんな時、ある医師から、どんな食べ物でも低カロリーにできる、人工胃袋を1億円で移植しないかと持ちかけられた。大好物のラーメンが脳裏にちらつく。もう我慢の限界だ。男は冷静な判断ができなくなっていた。 食って食って食いまくった
点検作業を終え、仕事終わりに休憩室に行くと、坂本が弁当を食べていた。 「おう、お疲れさん。今日はなに?」 「生姜焼きです」 「おぉ、いいなぁ、もらって帰ろう」 今起きて働いている人達の楽しみは食べることと、こうして仕事仲間と話をすることくらいかもしれない。 半年前に猛威を奮った伝染病は世界中で多くの死者を出した。 今現在、ワクチンが開発されるまでの間、世界中の人を睡眠ガスで眠らせるという対策が取られている。それでも最小限のライフラインを維持する必要があるので、私の
とある部屋の前に立つと、 男は意を決したようにドアノブに手をかけた。 ガチャという音がして、重たいドアがを開く。 「予約した者ですが」 男は部屋の中にいた老人に話しかけた。 すると老人は、部屋の中心にあるリクライニングチェアに 男を座らせると、 「1日何時間、売って頂けますか?」 少々しゃがれた声で聞いてきた。 男は食い気味に言う。 「何時間でも、可能な限りお願いします!」 男は焦っていた。 何としても、今年こそは司法試験に合格したい。 今年ダメだったら諦めるつも